第八話 救う力

私の目の前には、あの女が倒れていた
人間の女だ
咄嗟の事だった
気が付いた時にはバフォメットが血を流しながら戦っていた
まずい
そう思った
だから、こいつの姿が止まった瞬間に、私の体は動いていた

「やはり…キツイな…」

女がしゃべるのも辛そうにつぶやく
私の拳でアバラの何本かが折れているのかもしれない

「くそ…もうちょっとだったのにな…」

まるで勝負ごとに負けた子供のような表情
そんな女を見て、私の胸には不思議な感情が渦巻いた

「あんたは…すごく強かったわ。間違いなく、どんな人間や魔物よりも」
「ふふ。姫よ…ありがとう。そう言ってくれると…報われるようだよ…」

女がにこりとほほ笑んだ
しかし

「ぐ、ぐあぁぁぁぁぁああああ!!」
「な、なんじゃ!?」

突然その顔が苦痛に歪み、ほとんど動かないはずの身体でもがき苦しむ
その爪で胸をかきむしり、苦痛に目を見開く
尋常ではない様子の女

「む、胸が苦しいの!?ちょっと待ってなさい!」

私は慌てて暴れる女を押さえつけ、その服を破り捨てた

「こ、これは……」

私は言葉を失った

「なんじゃこれは!?どうなったらこんなことに!?」

女の美しく白い肌
そこに胸の中心から、まるで赤い花が咲いていくように真っ赤な痣が広がっていく

「ふふ。禁忌技を二つも使ったのだ。全身の筋肉はズタボロに千切れ、神経もとっくに焼切れているのだろう。そして、神滅第六天で魔力の源も砕き捨てた。もはや火の玉一つも熾すことはできまい」

「な、なんということじゃ…」

「安心しろ。もうじきに痛みも感じなくなる。ふふ。運が良ければ、いや、悪ければ死ぬことはないさ。まぁ、もう立ち上がることはできそうにないがな…」


彼女の相変わらずの微笑み

「まさかお主、こうなる事をわかって…」
「当たり前だ。こうでもせねばお前たちには勝てないだろう?」
「ば、馬鹿者!己を捨てて勝ち取った勝利に何の意味があるというのじゃ!?いったい誰が喜ぶというのじゃ!」
「ふふ。馬鹿な質問をしてくれるな、バフォメット。そんなもの、私が喜ぶに決まっているだろう?私は誇りのために最後まで戦えたのだ。後悔などあるわけがないし、嬉しくないわけもないではないか」

頭を殴られたような衝撃が走った
膝が震える
胸が締め付けられる

「何故じゃ?なぜそうまでして…」
「私は勇者だぞ?民のために、人間のために戦うと誓い、そしてその誓いのために戦うことは当たり前ではないか」

痛い
痛い
こんな、こんな…

「さぁて、思い残すことはないな。煮るなり焼くなり好きにしてくれ。もう…」

「もうやめて!」

――ギュっ

「!?……ど、どうした?姫君。突然何を…」
「もう…いいから…」
「ふふ。何を言っているのだ?」
「もう、苦しまなくていい」
「苦しみなど、とうに乗り越えた。今では何も感じはしない。安心するのだ」
「ううん。そんなはずない」
「さっきも言ったであろう?私の神経はもはや…」
「じゃあ、じゃあなんでそんなに痛そうな顔してるのよ!」
「………痛そうな顔をしているのは、お前ではないか」
「うん。痛い。痛いよ!あなたを見てると痛くて痛くて仕方ないよ!苦しいのに、辛いのに全部全部我慢して、こんなになるまで戦って戦って。もう…見てられないよ…」
「…やめてくれ。私はそれで満足なのだ。十分ではないか」
「いやだ!私がそんなの許せない!」
「……素直な言葉を使うようになったと思ったら。ずいぶんとわがままな姫だったのだな」
「そうよ。これが私。私はわがままで、馬鹿な女なの!ホントはみんなに褒めてもらいたくて、でも、でも、馬鹿にされたくないからいつもいつも…」
「…かわいい姫だな…お前は」
「うぅ…うえぇぇぇん」
「…こ、こら、泣く奴が…」

身体の底から力が湧いてくるのを感じる
暖かい、不思議な力
届けたい
この人に
届けたい
この気持ちを

――ホロ…

「…え!?……な、なぜだ?なぜ私は涙を?…」

“我慢しないで!辛いなら、泣いていいんだよ!苦しいんなら、叫べばいい。私が全部受け止めてあげるから。我慢しないで。閉じ込めないで!”

「お、おかしい…。頭に響くこの声…これがリリムの魔力なのか?…うぅ…や、やめろ…私はこれでいいんだ。私は勇者なんだ!」

“仮面が重いなら脱いだっていいんだよ。そんな物なくたって、あなたはあなたなんだから。隠さないで。強がらないで。本当のあなたはもっともっと強いの。ずっとずっと強いんだよ!”

「違う。これは私だ。私の一部なのだ。やめろ。私の心に勝手に入ってくるな!や、やめてくれぇ…う、うわぁぁぁ…うぅぅぅぅ」

彼女から大粒の涙が流れる
ずっとずっと心の中に貯め続けてきた涙
痛いのや苦しいのがいっぱいいっぱい溶け込んだ
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