ナイトメア・ナイトホークス

 深夜三時のテレビが言っていた。
 日本は夜更かし大国です。
 危機感がありません。

「あ、あのぉ……眠らないんですか?」

 彼はその日も深夜にテレビをつけっぱなして、机に向かっていた。
 気分転換にラジオではなくテレビを付けたのに、いつの間にかに見るのをやめてしまっていた。この日は放送局の設備点検の日なのか、早々に画面は環境映像に変っていたが、彼はそれにも気付かずにいた。誰も見ていないテレビはただスピーカーから、寂し気なシンガーソングライターの歌を彼の耳に送っていた。その歌詞は、隣人にも想いを届けられないもどかしさを詠っているようであったが、彼の脳や心にも届く事はなかったようである。

 そんな音声の中に、可愛いらしい声が、さっきからたまに混じっていた。
「ねぇ、眠りましょうよぉ?」
 そこで初めて、彼はその声に気付いた。
 妙なことを言う、と思った。
 またこのテレビは言うのだろうか。眠る? 眠れ? とんだ自己否定だ。新手の自虐趣味なのか。さすが深夜番組だ、問題ない、のか。
 と、彼は壁の時計を見た。
 二時を過ぎたくらい。
 またあの可愛らしい声が、聞こえて来た。
「眠く、ないんですかぁ?」
 いい加減……。
「眠いよ、でもこれが終わらせないと……」
 思わず声に振り返っていた。スピーカーを通した音にしてはあまりにも生っぽい声だったから、つい……だったのだが。
 本当にそこに声の主がいるとは思わなかった。
 確認しよう。テレビの画面の中にではなく、彼自身のベッドの上にだ。
「きみ、って、だれ?」
 すると彼女は答えた。
「貴男の、妻です」
 今にも泣き出しそうな声で、彼女は確かにそう言った。

「……え? はい?」
 聞き直していた。
 彼は、結婚した覚えなど無かった。
 そもそも、だ。
「そもそも、きみ、なに?」
「貴男の妻ですぅぅ」
「そうじゃなくて」
「貴男の奥さんン」
「いや、それを聞いているんじゃなくて」
「貴男は私の旦那様ぁ!」
「だぁー、聞けぇぇ!」
 きょんとん……ああ、と。
 ようやく彼女は、彼が何を問おうとしているのかに気付いた。
「私はナイトメア、ですよぉ?」
 なにを、いまさら?
 と言わんばかりに言う彼女だが、生憎と彼は人馬に知り合いなどいなかった。シェトランドポニーに、もじもじする女の上半身がのった、酷い言い方をすれば馬女が。そんな酷い言い方を容赦なく連想してしまう程、遠慮の必要がないくらいに面識が無い。
 しかし彼女は、彼と何の縁も所縁も無い筈なのに、何処から入ったのかと問うのが愚問に思えて躊躇う程に、ごくごく普通に、当たり前に、そんな顔をしてそこに居た。
 ベッドの上で器用に脚を折って、正座するように鎮座していた。
 挙げ句彼女は、自分は彼の妻だと言う。
 寝ぼけているのかと眼を擦っても、頬を抓っても、彼女は彼の視界から消え無い。
「悪夢だ……」
 まさにナイトメア。
 ポン、と手を打った。
「あ、夢か、これ……」
 彼は、夢オチにしようとした。
 でも残念ながら、机の上に突っ伏しても眠れなかった。
 彼女がとっても嬉しそうに寄って来て、彼の寝顔をまじまじと観察し始める。興奮して行く鼻息が、彼の頬に当たる。
「眠れるかーっ! きしょいわー!」
「ふぅえぇぇぇぇぇ?!」
 残念ながら、一分程度狸寝入りしたくらいでは、その悪夢は消えてはくれなかった。

「……あの、まだ眠らないんですか?」
「眠らないなぁ」
 言って彼は、振り返らずにちらりと、後ろのベッドを見た。
 ナイトメアは、まだそこにいた。
 ベッドの上で、もじもじと身じろぎしてシーツを、かさかさ、しゅっしゅ、と鳴らしていた。
「夢の中でいいことしましょうよぉ」
「いいことねぇ」
 彼は机の上から目を離さなかった。
 卓上のそれは、焼成すれば銀になる粘土だ。ざらっとした白が、灼けば蕩けるように真珠の様な白乳色の艶を帯びて銀色になる。それは解っているんだ、と、彼は何かを探すように、自分の胸ぐらを軽く掴んで掻き毟っていた。
 確かに作りたい気持ちはあるのに、そのカタチが見えて来なかった。
 幾ら照らしても、カタチが浮かび上がって来なかった。
 彼は悩んでいた。
 ナイトメアはそれが解るから、暫く静かにする。
 そしてそっと、蹄の音を立てないようにフローリングの床に降りると、台所の方へと歩いて行って、お湯を沸かし始めた。
 そうするうちにも彼は、終いには粘土ではなく、頭を捏ねだした。

 時計の短針が、三時を指した。
 ナイトメアは、また声を掛け始める。
「今日は大事な、大事な日なんですけどぉ」
 未だ彼は頭を捏ねていた。
「大事な、大事な、だぁーいじ、なっ! 本当に、ほんと、ほんと、ホント、ほンッとにぃぃっ!」
 さっきナイトメアがお湯
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