いつものように、
今年もまたいつものように、蒸して来たのだと思った。
梅雨を控えた夏至の頃である。この頃にもなると、仕事を終えてもまだ外は明るかった。
その空の色は本来の藍色に、傾いていく陽が刻々と茜色へと変化させながら色を生んでいる。この季節の空気中を漂う湿り気を無数のプリズムにして、それらは混ざり合いながら色を飽和させている頃だろう。そんな空を、湿った厚い鉛色の雲の塊が覆っている。厚い磨りガラス越しのような、薄明るい、薄暗くもあるそんな、その日も梅雨前のそんないつもの夕刻だった。
いつものように寄り道をして行く。
その日は、いつもではない事が一つだけあった。
ポケットの中に運試し用の三百円があった。
それで宝くじでも買うつもりだった。
だが気が変わった。
「最近のガチャガチャは三百円もするのか」
昔は三十円くらいだったはずだ。いや二十円だったか。
ダイキャストの受け口に十円玉をセットする時のドキドキ感を今でも憶えている。ハンドルを回してそこをスライドさせて、十円玉が化けてカプセルになって降って来た時の一喜一憂は、子供心にそれは運命そのものだった。
そしてそれがデラックス版として百円のものが一つ二つ混じってくるのを見て、駄菓子屋の隣に高級百貨店ができたように子供心にも思ったのを覚えている。
ポケットの三百円を握っていた。
「ガキじゃああるまいし」と、それは分かっているんだと言い訳しながらも、これはあの高級百貨店の更に三倍も高級なのだから、大人の俺にこそ回す資格があるのだと、餌付けされた習性のまま、子供の頃のままに握った三百円を入れてハンドルを回した。
運試しには宝くじもガチャガチャも変わりなかった筈だ。
どんな運命が分かる物であるかは疑問ではあるが、当たらなければ何も残らない宝くじよりは、外れても何かが手に入るガチャガチャの方が運試しとしてならまだ良心的なのだろう。自分でやっていて何が当たりで何が外れかは分かっていないが、アタリなんてそう滅多に落ちてくる事が無かったガチャガチャなんてものは、まぁそんなものだ。
ハンドルの回り切る感触を期待して待つ様に何度か手首を回していき、軽く引っかかる感触とカポンという音がして、昔より大き目なクリアカラーのカプセルがハンドル下のポケットの中に降って来た。
俺の運命は稲荷らしい。
カプセルの中身は缶バッジだった。
魔物娘のイラストが描かれたそれは、魔王軍のサバトあたりがバラ播いている、そんなよくある玩具なのだろう。
狐娘のイラストにローマ字で「Inari」と書いてある。
それを見て、ここから駅に戻る途中にも稲荷神社があった事を思い出していた。
記憶違いかもしれないが、でも、無ければ無かったでそれで良い。
そんな程度に、駅への帰り道を歩き始めた。
大きな通りに出て、次に駅に向かって左折するT通一丁目交差点の信号を見て歩く。
交差点名称を掲げた三色橙の向こうに見えた東の空は相変わらず曇りだった。
でも今は低く垂れ込めた雲が近かった。その分、合わせ目は広がって見えて、今日は空の色が大きく見えていた。
この季節の空は湿気のレンズのせいか夕刻の色が濃い。
雲の隙間から垣間見える東の空は、藍色から鮮やかな天色だった。
西を見れば夕陽の茜色から紅緋色で、そこからやや光が失せて行きながら今様色や牡丹になって、雲の合間の向こうで東西で混じり合った頭上辺りで薄い菜の花色や蒲公英色になっていた。
それはまるで、ガチャガチャのカプセルの詰まったタンクのような空だった。
そうそう、そんなアタリなんか拝んだ事の無いアタリ見本の貼付けてある、大多数がその見本から懸け離れたよく分からない色取り取りの代物が詰まったアレだ。
そんな今にも色が降って来そうな空を、色の抜け落ちた雲の塊が、どんどんとどこからか沸いてきて覆って行っていた。
蓋をされたこの季節らしい息苦しさも感じた。
手を伸ばせば、その雲を払う事もできるような錯覚をいつも覚える。
その手で少しだけネクタイを弛めた。
そして交差点を左に曲がってすぐ、記憶にあった稲荷神社があった。
見落としそうになる位に似つかわしく無い、古い公園や個人宅にあるような灰色のペンキで塗られた金属製の格子柵に神社は囲われていた。家の勝手口に備え付けてあるような門扉を押して境内に入ると、一回り大きな雨除けに収まった社が並んでいる。
その前に立って、柏手を打つ。
特に何を願った訳でもなかった。
そのせいか、何も起きる事は無かった。
「ん……まぁ」
そんな、ものか……。
そんなものだ。
自分に言い聞かせる様に独り言を呟いていた。
稲荷神社に行ったら狐の魔物の稲荷と出会って、自分の何かしらが変
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