科学の進歩

 科学の進歩とは、時として感情的なものである。
 いや、感情的な作用無く発展する科学など、あったであろうか。

 偉い学者が如何に高尚な理論を並べ立てても、清潔な実験室で魔法の様な化学反応を幾ら起こしてみせたとしても、怒り狂うと言う人類共通フォーマットの激発に比べれば、それはお上品な詩の朗読くらいでしかない。
 滾らせた感情こそが、人類を発展させるのだ。

「この浮気者! 浮気者ぉ!」
「な、ちょっ…まて、ごかい……ぶわっ!」
 一つ目の鬼が怒り狂い、一人の男を責め立てていた。
 そして、シャツにキスマークという古典的芸術品が、そこにはあった。
 おまけに乳臭い。
「どこのホルスタウロスと乳繰り合ってたのかしら? それとも、野趣溢れるミノタウロスかしら?」
 サイクロプスの彼女の、その目が笑っていなかった。
 彼女らの事を鬼と呼ぶ者もいるが、そんな鬼の目にも涙であった。
 夫婦のそれに代表される痴話喧嘩の王道と言えば、物の投げ合いである。
 その日のそれには、挙げ句に投石機が投入されて、家が半壊しようとしていた。

「私というものがありながら!」
「すまなかった、お前と言う乳がありながらぁ」
「黙れぇーっ」
 サイクロプスというと、一つ目という強すぎる個性で見落としがちであるが、彼女らは巨乳である。そしてそれはとても形が美しいのだ。そもそも彼女らは元々は神族であって、美しい肉体の持ち主であった。
 そしてどうしようもない事だが、彼女の同棲相手は乳ソムリエ(自称)だった。何故自称なのかと言うと、その趣味が巨乳に偏っているからだ。しかしソムリエたるもの全ての乳を味わい、理解し、表現できねばならない。だから、ナイチチも、ひんぬーも、ちいぱいも……と、つらつら大きくもない乳の話をすると苦しみだすような男が、真のソムリエであるはずも無い、という意味だ。誰が言ったかは知らぬが、正論である。
 ついでに言えば、彼は元勇者でもあった。
 勇者が元だったというのは、この世界ではさして珍しくもない。勇者というのは、無謀にも魔王城に突撃して、サキュバスの誰かのモノになる為の職業なのだ。それを理解していないのは教団の連中くらいなもので、幾度の失敗もめげず勇者を送り込んでは、サキュバスの恋人で元勇者というモノを量産している。一山幾らである。
 ただ彼の場合、その手前で任務を放り出してしまったのだが。
 魔王を斬り倒せるだけの業物を求めてサイクロプスである彼女の元を訪れ、そしてころっと、彼女に惚れてしまったのだ。
 サイクロプスはその勇者の為に誂えた剣の代金として子孫を、その子を宿す為の種を取引する。彼女もその為の一晩の関係を、彼と結ぼうとした。
 するりと羽織ものを床に落とし、裸体を晒した彼女を前に、彼は感嘆の声すらあげられなかったと言う。
 最初彼女は、自らの青い肌を気にしていた。
「ああ、トルコ石みたいで綺麗だ……い、いや、サファイヤかな?!」
 彼のうわずった声に、サイクロプスの価値が暴騰して行く。
 暗い部屋の中、暖炉の炎の揺らめきの中に表れた彼女の姿は、その柔からに揺れるその陰影を抱いてただただ美しいばかりであった。たしかに、肌の丘陵の柔らかに微睡むような青は、トルコ石であった。それでいて、光と影の境界線に透ける肌の透明感は、サファイヤそのものだった。肌理の中に煌めく光彩を放つ様は、オパールのようでもあった。宝石のカットや研磨の職人でも、この美しい陰影を描けまい。
 そして、その美しい乳房。
 巨乳でいて自らの重みで潰れずに美しいラインを保つだけの張りがあり、撫でれば春風のような心地良い湿り気を帯びつつも爽やかで滑らか、触ればもちっと絡まり、しかし揉めば取り留めも無くその指を受け入れて、まるで海へと漕ぎだす冒険者のように男の胸を高鳴らせる。ただ、深入りは許さない。神経は細やかで、僅かに触れただけでも、全身を震わせる。それでいて強い刺激は牛乳で浸したかようにまろやかにしてから彼女の脳へと伝え、それで小鳥のような美しい声で啼かす。渇望が息苦しさを伴う程、男の欲をかき立てる。彼女の胸は、彼女が打つ剣と同等それ以上の銘品であった。
 彼は乳ソムリエを自称しながら、彼女との事が始まれば、ただ彼女を味わい尽くす事だけに囚われて、講釈を垂れるどころか、肉を前にした獣の喘ぎ声しか出なかった。
 挙げ句、自分の全部その乳の上にぶちまけて、代金を踏み倒したと彼女に怒られる。
 彼曰く、唯一の敗北。
 至高故の甘受すべき完敗。
 そして彼は剣と一緒に、彼女をお持ち帰りした。
 魔王(既婚)? んなもん知るか!
 他人のものになった女の事など、どうでもいい彼であった。
 目の前に、手つかずの山(脂肪でできている)があるのだ。
 彼がどうして勇者になったかが伺える。

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