中編

―4―

 毒島紫百合。神城高校一年生。俺と同じクラスで、近所の小山の中腹にある百足神社の境内にある家に住んでいる。
 見た目は、顔のほとんどを前髪で隠しているのもあって暗そうな雰囲気を醸しているけど、素顔を晒せば儚げな令嬢を思わせる美貌の持ち主だ。正直、俺の好みに物凄く合致している。
 会話だって普通の女子からは多少ずれているかもしれないけれど、なんだかんだ話題が尽きないので楽しい。
 そんな彼女が俺に好意を寄せてくれている。漫画とか小説の中の話のように、重すぎるほどの愛を向けてくれている。まるで夢みたいな話だ。
 いや、本当に夢なのかもしれない。
 これは俺が見ている白昼夢。俺の願望が形となった一時の夢に過ぎない。
 だって、毒島紫百合なんて同級生は、いるはずがないのだから。
 気づいていた。いや、気づいて忘れていた。いまのいままで。
 疑問に思った瞬間、その疑問はなくなって“そうであることが自然である”と思い込んでいた。
 最初、紫百合の家が百足神社であると知ったとき、俺は確かに疑問に思っていたのだ。
『あそこには小さな社しかないのにどこに家があるのだろう』と。
 だけど、紫百合がここが家だと言えばそうなのだと納得してしまっていた。
 俺はきっと何かされている。
 言葉では説明できないナニカを紫百合にされている。
 怖い。紫百合が何なのかわからなくて怖い。
 でもそれ以上に怖いのは。
 それでも俺は紫百合から離れたくないと思ってしまっていることだった。
 紫百合の紡ぐ言葉、全身から漂う甘い匂い、深い闇色の瞳、それらが俺の五感を支配して離してくれない。とても心地いいのだ。紫百合と一緒にいると。紫百合の家から帰るとき、彼女から離れるときとても辛く思えてしまうほどに。
 友達が何言か制止の言葉をくれたけど、俺はいまこうして紫百合の家に一緒に帰っている。
 離れたくない。だから、何か間違いであると思いたかった。きっとこれは夢。そうだ、白昼夢だ。百足神社に家がないということの方が夢で、毒島紫百合は実在する女の子で、本当に俺を好いてくれているんだ。
 それを確認するためにも行かないと。
 紫百合の家に。

「み、瑞樹くん、帰り道ずっと上の空でしたね。か、風邪、引いちゃいました、か?」
 紫百合の部屋に案内されて早々、そんな言葉をかけられる。
 ずっと紫百合の家に着いてからどうするかを考えていて、生返事しかしてなかったなそういえば。
 俺は「大丈夫だよ」と言っていつものように座布団に座ったけど、紫百合は引き下がらなかった。
「し、紫百合っ!?」
 俺の膝の上に尻を乗せるように跨って、俺の額に自分のものをくっつけてきたのだ。
 掻き分けられた前髪から現れる、紫百合の白い肌に浮かぶ素顔。あどけなさと病弱さを兼ね備えた、しかし俺を魅了して止まない狂気の沼底の瞳が眼前に来る。
 心臓が早鐘を打って、思考がただ一つ紫百合のことだけに絞られた。
「すー、はぁ……」
 唇に触れる紫百合の息遣い。白い肌に浮かび上がる紅頬。鼻腔をくすぐる紫百合の少し汗の匂いが混じった甘酸っぱい香り。
 畳をつく俺の手に、紫百合の手が添えられてぎゅっと握られると俺は堪らずというか、驚いて手を上げてしまった。俺を支えていた手がなくなった途端、俺は背後に倒れ込んで紫百合もそのまま俺に覆いかぶさる形となる。
「っ」
「ご、ごめんなさい……」
 謝りつつも、しかし俺と鼻先をくっつけあったままの紫百合は退こうとはしなかった。
 それどころか、より身体を密着させてくる。服越しでもわかるほど紫百合の身体は柔らかく、ふくよかなおっぱいが俺の胸辺りでド迫力の重量感で乗っかっていた。どたぷんといった擬音語が浮かびそうなほどだ。
「はぁあ、瑞樹、くん……はぁ、こんなに近くに瑞樹くん……あああ、好き、好きです」
「し、紫百合」
 両頬を紫百合の両手に包まれる。温かな手、細くしなやかな指、女の子のものだ。
「この唇も、目も、鼻も、耳だって。爪先から毛先まで全部、好き……! 全部、全部欲しい……瑞樹くんの全部が欲しい。身体だけじゃない、全部」
 なのに、この手はまるで人のものではないかのように深く俺の中に食い込んでいる。俺の一番大切な部分を鷲掴みにして、手中に収めている。
 逃げられない。逃がしてくれない。
「ああ、ごめんなさい、瑞樹、くん。私、少し、はしゃいじゃいました……だって瑞樹くんに、ふふっ、こうしてのしかかって、まるで抱き合ってるみたいで興奮しちゃいますもん。ううん、まだ私が一方的に抱き合ってるだけ、ですね」
「そ、そろそろ、退いてくれるとありがたいんだけど……」
「私と抱き合うのはいや、ですか?」
 じっと目を合わさせられる。深く暗い、底なし沼のような瞳が俺の視線を呑み込んだ。
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