―1―
ドジった。
まさか勇者が現れるなんて思ってもみなかった。
くそっ、道理であの村の連中、食いもんとかあっさり渡すはずだ。端っからあたしを仕留める気だったんだな。
「あー、やべぇ……」
視界に靄がかかってきた。どれくらい走った? 山二つは越えたか? どっかの森の中だけど場所が全然わからねぇ。
このアタシが勇者に後れをとって、あまつさえ尻尾巻いて逃げる羽目になるなんて。
ああ、血が止まりやしねぇ。逃げるために激しく動いたからか? それとも勇者の不思議な力のせいか? 腹から流れる血と一緒に力も抜けていくような気がする。
毒は違うはずだ。食いもんに毒は入ってたけど、アタシにそんなものは効かねぇ。まっ、食べすぎたせいで身体が重くなって不覚を取ったんだがな。
「今度はちゃんと狙う場所、選ばねぇとな」
さすがに油断しすぎた。
ただ、いまのアタシに次があるのかって話だが。
「ぐっ……」
脚に力が入らず、アタシは地面に顔面からキスする。そんな趣味はないが、もう力が入らない。
ああくそ、こんな最期かよ。地獄の番犬様が、こんなどことも知れぬ場所で野垂れ死ぬ、か。
「へっ、いいさ……このまま地獄に、帰る、のも悪く、ない……」
今度は地獄の住民相手に奪ってやるさ……。
アタシはその生き方しか知らないんだからな。
「ルーリア?」
声がした。小さな子供の声。それと混じって聞こえるアタシを恐れる大人の声。
「ルーリアだっ!」
だけど、その子供の声にはアタシに抱く恐怖の色は含まれちゃいなかった。
必死に顔をあげてその子供の顔を見ようとして、だけどアタシの意識は闇に呑まれて、消えた。
―2―
地獄の天井、というには普通すぎる木の天井だった。そして視界が広がると直後に来るのは。
「痛っ……!」
腹を襲う激痛。これは違う。ここは地獄なんかじゃない。別のあの世でもない。
確かな現実だ。
自分の置かれている状況が一切合切理解できなかった。
木の天井、つまりは屋内。ここはどこかの家か? それにベッドの上。誰かに連れて来られて寝かされた? しかもあの状況で生きている?
「どこのどいつが」
腹部の痛みに耐えながら身体を起こす。かたいベッドだ。家もさほど裕福じゃなさそうだな。盗るもんなんてろくにないだろう。
全身真っ黒なアタシの肌に映えるような白い包帯が腹に巻かれてある。血は滲んでないし新しい。
助かった? いや、助けられたのか?
しかしこのアタシを助けるってことは、アタシは魔物がいっぱい住む国の領地まで逃げていたってことか? だけどかなり距離があったはずだ。徒歩だと数週間かかるくらいは。
ああ、やっぱりボロっちいな。部屋には小さな椅子とテーブルくらいしかない。壁には何か葉っぱとか木の実とか額縁に飾られてるけど、どれも統一感の欠片もないし食いもんにもならなさそうだ。
まぁいい。いまはあの勇者の活動域から離れることが先決だ。さっさと身体治して、お礼参りしなきゃいけねぇしな。
「誰が連れて来たか知らねぇがさっさとずらかって」
ちょうど言いかけたタイミングで、アタシの向かいにあるドアが開いた。
アタシは腹の激痛も無視して、ベッドから部屋の隅へと飛び退く。全身に殺気を迸らせ、部屋へ入ってきた何者かにあらんばかりへとぶつけた。
小動物がきょとんとアタシを見上げていた。手には包帯やら何かの小瓶やらを盆に乗せて持っている。
「ガキ……?」
しかも人間の。
髪は金髪のツンツン頭。蒼い瞳の大きい、どこぞの館に置いてあったような人形みたいななよなよしい顔。どこか小動物を思わせる。
だけど、その人形みたいな小綺麗な服は着ていなくて、目の前のガキは薄汚い布服を着ていた。身長は多分、アタシのお腹よりほんの少し上くらい。
「よかったっ! ルーリア目が覚めたんだね!」
顔をまるで日光みたく輝かせたと思うと、お盆を床に置いてそのガキはアタシに駆け寄ろうとする。
「シャル!」
しかし背後から現れた大人の女が、シャルと呼んだガキを後ろから羽交い絞めにした。
「お母さん離してよ!」
「駄目です。あなたはこっちに来ちゃ駄目だって言ったでしょう!」
「いやだ! せっかくルーリアが帰って来たんだ! いっぱい遊ぶんだもんっ!」
こいつら二人とも人間? 子供の方はともかく母親らしい女は明らかにアタシを警戒してやがる。この反応だとこいつは噂に聞く魔物と暮らしている国の人間じゃねぇ。
アタシの漆黒の肌と黒炎の体毛、人間の指くらいはある鋭爪もどれも人間にはないもので、奴らにとっちゃあ恐ろしいもんだ。
だからこいつらがアタシらを助ける道理なんざないはず。なのになんでだ?
「もう離してよっ!」
「あぁ!」
ガキが一瞬の隙をついて女の手から離れたと
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