中編

 ―5―

 北の森を挟んだ先、そう遠くない距離には魔物と結託する国があり、さらにその北方には魔界へと堕ちた国々が広がっている。表立った侵攻こそしてこないものの、狡猾な魔物が住まう国だ。油断はできない。だからこそ、あの町に直接私とリミアが配属されたのだろう。
 町の北に広がる森は深く暗い。ここを住処とする魔物の影響を受けているのか、木漏れ日が足元まで届くことはなかった。
 だが、今日は特におかしい。息の詰まるような閉塞感が森に入った瞬間からずっと続いている。何より静かだ。虫の音が、森の木擦れの音が聞こえない。嫌な感じだ。
 以前、フィルを賊から助けたときも多少の異変はあった。北の森でも魔物の結託国近くまで行けば野生の魔物が生息している。魔物の魔力は森羅を侵食する。ここまで来る可能性もなくはないのだが。
「いや、それにしても」
 まだあのときからまだ一月も経っていない。ここはまだ森に入って間もない。ここまで魔力が侵食してくるなんて、それなりの時間放置し続けるか、もしくは……。
「早くフィルを見つけた方がいいかもしれんな」
 嫌な予感がする。解決に乗り出すにしてもフィルを町に返さねば。
『他の娘に取られては駄目ですよ』
「わかっています……え?」
 いま、私、なんて。いや、そうだ。魔物の毒牙にかけられてはいけない。早く見つけ出さねば。
 フィルの場所は幸いわかっている。動きがないということは薬草を採取しているのだろう。
 魔力に侵食された大地の薬草など使ってもらいたくはないが、効き目のある薬草がここにしか群生していないということなのだろう。魔力の侵食こそあれ、ここは実り豊かな森だ。
 ゆえに毎日のように訪れているのだろう。床に伏せる母のために。危険を顧みず。
「本当に優しい子だ」
『あなたが守ってあげるのですよ』
「わかっています。あの子はこの身に代えても守ります」
「誰から守る、というのかしら?」
 それは耳を溶かす声だった。まるで耳元で囁かれたような、しかし森によく通る透き通った声。
 森が一瞬で声を取り戻した。
 悲鳴という名の声を。
「ッ!?」
 突然だった。気づけなかった。
 ソレは、私の目の前にいた。
「始めまして、こんにちは。主神の尖兵さん」
 天使が持つ白とは違う。まるで反対の、下卑た禍々しいシロをその女は抱えていた。
 肩ほどまでの白髪は暗い森でも輝きを放つが、同時にあらゆる者を絡めとらんとする底なし沼の如き暗黒を湛えている。頭部に沿うように伸びる黒角がその輝きをさらに際立たせていた。
 そして背には禍々しいシロに染まる白闇の翼。蛇の如くうねる艶尾。
 劣情を誘うためだけに着られた胸と太ももを強調する黒のドレスが風もなくふわりとはためき、フリルスカートを揺らしていた。
 天使である自分とはまるで正反対の、反吐が出るほど嫌悪する存在。
 我が主神様の怨敵、その娘。
 子供たちを魔の道へと引きずり込み、堕落させ、人としての尊厳を根こそぎ奪う悪魔。
「リリム……!」
「ふふ、ごきげんよう。私の名はリリアナ・ローゼンパール。親しい友人はリリィと呼ぶわ。あなたにもそう呼んで欲しいわね」
 スカートの裾をつまみ、お辞儀する悪魔。ふざけた振る舞いに私は激昂を抑えられない。
「ふざけるなッ!」
 聖素を放出し、瞬時に金色の聖槍を手に具現化させた。
 悪魔の話など聞く耳を持たない。私は悪魔を貫こうとその槍を振るう。
「あら」
「チッ!」
 しかし、私がそうすることは予測していたのだろう。ゆうゆうとバックステップで躱されてしまった。
「いきなりご挨拶ね。少しくらいお話相手になってくれてもいいのに」
「貴様たちの放つ声は酷く耳障りだ。特に貴様のような魔が具現したような存在はな」
「傷つくわねぇ。悪魔にだって心はあるのよ?」
「耳障りと言ったッ!」
 苛つく声を振り払うように私は突進。万物を貫く聖槍を胴体へ振るう。
 しかしその白い翼をはためかせて悪魔は上方へ逃亡。
「我が主神様より賜りし光翼から逃れられると思うな!」
 すぐさま光の羽翼を振るい、悪魔を追撃する。戦う気がないのか背を向けて悪魔は逃げ出した。
 だが、ここは北の森。鬱蒼とした木々が密集した、翼者を阻む土地だ。だがそれ以上に、私が常日頃より警らしている場所だ。
 地の利は我にある。
「痛ッ! もうっ! ひどいわよ!?」
 我が聖槍が飛んで逃げる悪魔の肩を掠める。チリチリとドレスの肩部分が焼き焦げる匂いが一瞬だけ鼻を抜けた。
 悪しき者を貫き、弱き者を守る聖槍だ。魔が形を成したこの女を殺せぬ道理などない。
「ッ!」
 聖槍の先が黒く染まる。私は聖槍の先を崩し、新たな聖素を注いで構築し直した。
 リリムはあの魔王の娘。膨大な魔力を有する悪魔だ。その魔力量と汚染速度は通常の魔物の
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