―1―
夢を見ている。
この夢はおれの記憶の始まり。
初めて目に映した光景は、二人の男女の顔だった。いまでは母さんと父さんと呼んでいる人の顔。どちらも共通しているのはとても若いということ。ただ、女性の方は頬の辺に鱗のようなものが生えていた。よく見れば角まであり、普通の人ではないように見えた。実際、人間らしい姿を持っているものの腕や脚などは決して人間のソレではなかった。でもそのときは不思議と怖くなかった。
二人は事情を説明するのでも、おれに尋ねるのでもなくまず最初に温かい食べ物を食べさせてくれた。ポトフだったと思う。スプーンの持ち方がそのときわからなかった。器に直接口をつけ仰いだせいで唇を火傷しかかった。慌てなくていい、と二人が笑顔で背中をさすってくれたりしてくれていたのを覚えている。
最初は自己紹介からだった。名前を教えてもらい、そして自分の名前を言おうとしたところで言葉が詰まった。名前。その意味の指すところ。自分。自分の名前がわからなかったのだ。それどころか自分が誰なのかすらわからなかった。そのときのおれはパニックになって毛布を被り、ベッドに沈んだらしい。ずっと毛布越しにおれの背をさすってくれていた母さんと父さんから、後々聞かされた。
記憶喪失。おれには母さんたちに拾われる以前の記憶がすっぽりと抜け落ちていた。誰に産み育てられたのか、どこで暮らしていたのか。何も覚えていなかった。
父さんに勧められておれがしたことは、まず自分がどんな姿をしているか、本能的に何ができるか、ということだった。そう言われて姿見で自分の姿を見て初めて、自分の身体が七歳程度の子供だと知った。身体は健康そのものであったけど、運動能力はあまり良いとは言えなかったらしい。
しかしそんなことよりも初めて『外』に出たときの驚きたるや言葉では言い表せない。
天を舞う竜の輪舞曲。地を這い駆ける地竜の行進曲。良き隣人として彼女たちと輪を築く人々たち。あらゆる竜と人、そして人ならざる様々な種族が対等に友好を結んでいた。
こんな光景は記憶にない。夢のような世界だ。
夢のような? すぐにおかしいと気づいた。この光景を現実ではないと比較できるような記憶が、おれにはないはずなのに。母さんの姿もそうだ。ワイバーンなる存在は“いない”はずなのだ。
考えた。記憶を遡った。全ての意識を頭蓋の中、脳へと向けた。
頭を割らんばかりの激痛とともに、幾つかの映像が想起された。そこに母さんたち、魔物娘の姿はどこにもなかった。
怖くなった。
笑顔を向けてくるあの二人が。
何故? どうして笑顔を?
自分は二人の誰でもないのに。
二人はおれの誰でもないのに。
人間じゃないのに。
おれは逃げ出した。
走って、走って、走って、ただひたすら走って、脇目もふらずに駆けた。一層強まる頭痛に、おれの意識は引き戻されて、気づいたときおれは天上を仰ぎ見ることができないほどの巨大な建造物の前にいた。
その瞬間、おれの頭は自分で記憶を想起したとき以上に激しく揺れ動いた。頭蓋を全方向から錐で穴を開けられているかのような感覚。頭蓋に宛てがった錐の柄を槌で殴っているかのような激痛。耐え切れるわけもなく、おれはふらりと身体を揺らした。
背後が崖となっていたことに気づいたのは、おれの頭が足よりも低い位置に来てからだった。
夢はそこで終わった。壁に埋まる魔宝石の淡い光が朝を告げていた。
心臓が酷く鼓動していた。喘ぐように身動きを取ろうとしたがうまくできない。
呈がおれの全身にその身体を絡ませていたのだ。蛇の尾だけでなく、上半身も使って。僅かな、しかし確かな膨らみをおれの胸に押し当てて。
おれは短い切り揃えられた銀髪を指で梳く。抵抗なく通る呈の髪は触れているととても心地いい。おれがそうしても、呈はすぅすぅとたてる寝息を立てたままだった。
そのときにはもう心臓は平静を取り戻していた。蒼い水に浸ったかのように落ち着いていた。
「……」
おれの最初の記憶。三年前の出来事。夢で見たのは初めてだった。
でもどうして今更になって?
呈の安心しきった寝顔を見ながら、おれは鎌首をもたげたその疑問に、ひたすら何故と問い続けた。
答えなどなかった。
―2―
呈と出会っておおよそ一週間が経った。人見知りする嫌いがあった呈も、父さんや母さん、セルヴィスとラミィさん相手には慣れたみたいだった。
ほとんど遊びっぱなしの一週間。ドラゴニアをゆっくりと巡った。観光というよりは、ドラゴニアがどういう場所であるか、暮らすのに便利な場所はどこかを呈に教えるために回っていたという感じだ。
例えば最近開かれたばかりの小高い丘に作られたドラゴニアヒルズとか。竜泉郷の湯が自宅の風呂として味わえる竜泉窟
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