イカスミパスタが食べたい

昼頃知らない奴から電話があった。

「ああ、僕僕、僕だよ、僕。いやいや僕僕詐欺じゃなくて僕だよ僕。いやだから僕だって。なんなら私でもいいよ私。だからさ、イカスミ。イカスミだよイカスミ。あの黒いの。イカスミ塗りたくったパスタが食いたくなってね。だからさぁ、君、船持ってるだろう?ちょっと船出してイカスミ獲ってきてほしいんだよ。ちゃんとお礼はするって。うんうん、あー、イカスミパスタをご馳走してあげる。いいだろ、十分じゃないか。じゃあ、頼んだよ」

ガチャ、ツーツー。

そんな感じで一方的に頼まれ、電話を切られた。間違いなく間違い電話な上、受ける義理も全くなかったが、こいつの話を聞いてたら食べたくなったのも事実。買えばいい話だが、獲りたてのイカスミを食べたいのも事実。
俺は夜になるのを待って早速船を出した。ちなみにこの船は前に友達にもらった。


夏とはいえ夜の海は寒い。風避けのない海のど真ん中に突っ立っているんだから当然だ。俺の乗る船もそんな立派なもんじゃないし、風避けになる部屋とかはない。ちょっとした高波がきたら一発で転覆ものだろう。まあ、そんなことは万が一にもないんだがな。
寒空の中、俺は細々とイカ釣りを始める。時刻は夜中の12時。大きめの懐中電灯を船からぶら下げ、海を照らす。イカは光に釣られてやってくるので、そこを釣るという寸法だ。
狙いはスルメイカ。夏のこの時期が旬で、夏イカと呼ばれたりもする。何匹捕まえればいいかわからんが、まあ、適当にやれるだけやってみよう。

しばらく経って俺は釣糸を海へと垂らす。そんなに苦労するものでもないだろうと、俺はこのとき思っていた。楽々に何匹も釣れると思っていたのだ。そして颯爽と帰ってイカスミパスタを食べるはずだった。
はずだったのだが。

「なん、だこれ」

俺の目の前に信じられないものが現れた。
ぶっといイカの足。
吸盤が子供の拳サイズくらいありそうな、俺の脚の太さと同じくらいのイカの足が、暗闇の海から妖しい白い光を浮かべて抜き出ていたのだ。にょろにょろと。

しかし、これで終わりじゃなかった。

にょろにょろ。
にょろにょろ。
にょろにょろにょろにょろ。
にょろにょろにょろにょろ。
にょろにょろにょろにょろにょろにょろ。
にょろにょろにょろにょろにょろにょろ。

立て続けにさらに六本ものイカ足が海から、俺の船を取り囲むようにして現れたのである。

「う、うわっ……!」

天に伸びたがイカ足が、俺の乗る船に向け降り下ろされた。七本ものイカ足に叩きつけられ、船はいまにも転覆してしまいそうなほどに揺れる。俺は転落防止用の手すりに掴まるが、俺が海に落ちるかどうかは関係なかった。
イカ足がニュルニュルと長く伸び、船に巻き付いていったのだ。グルグルともはや隙間などないほどに。俺は床にしゃがんでイカ足をかわすけれどもすぐに気づく。

「み、水!?まさか!」

そう、船が沈んでいるのだ。いや、引き込まれていっていると言った方が正しい。イカ足が海中へと船を引きずり込もうとしているのである。
俺はとある映画のことを思い出していた。イカの化け物が出てくる洋画だ。あれも大きな手足を使い、獲物を捕まえていたと思う。そうか、俺が獲物なのか。

イカ釣りをするつもりが、釣られてしまったわけだ。俺は、いまからあの洋画みたいに食べられるのだろう。
水が俺の身体を包んでいく。息苦しさとともに、俺の意識も海の底深くへ沈んだ。




目を覚ますと真っ暗だった。なにも見えない深淵の中だった。自分さえも見えない、地の底よりも深き暗黒だった。
俺は浮いているように思えた。地に足が着いていないのだ。ということは死んだのか。死後の世界とはこんな真っ暗闇で、俺は漂うだけなのか。
いや、俺は宙に浮かんでいるわけではなさそうだ。どこか、身体を動かすのに抵抗がある。浮かんでいるけれど沈んでいるような感覚もある。そうか。俺は海に沈んだ。ここは海の中なのだ。俺は海の深海へと沈みいっているのだ。

「っ!」

それに気づくと、俺の思考は途端にパニックに陥る。このままでは溺れてしまう。死んでしまう。
焦りと緊張が、溺れるならとうに溺れているはずだという、真っ先に浮かぶべき考えを水泡に帰していく。

俺はもがいた。どうにか上へとあがろうと身体をばたつかせた。しかし、周りは暗黒。自分がどこに向かっているのか。上に行っているのか。下にいっているのか。地上へと向かっているのか。深海へと向かっているのか。なにもわからなかった。

絶望が心までも暗黒で満たしかける。そのときだった。

光。暗黒に浮かぶただ一点の白い光が現れたのだ。
それは闇に囚われつつあった俺の心を優しく暖めていく。俺はその光を求めた。光も俺を求めるように近づいてきた。

そして出会った。


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