後編《混沌》


―3―


ファラオことナイアに案内されたのは、王宮のとある一室だった。しかし、なんの部屋かはわかる。
居住区の家一つ分といえる広さ。豪奢な飾りや鎧冑や壺、絵画などのアンティーク。天蓋つきのキングサイズベッド。
まず間違いない。この王宮の主、ナイアの寝室だ。

「ナイア様、二分半の遅刻でございます」

寝室に入った途端聞こえた声。その声の方向、入ってすぐ右手方を見ると、黒色ウルフ耳に黒髪の女がいた。理知的な容姿をしていて、ウルフの手には天秤のついた杖が握られている。言わずもがなアヌビスであろう。

「やぁ、ビスタ。悪かったよ。ついついカーターと話し込んじゃってね。悪気はないんだ。そう怒らないでくれよ」

「怒っていません」

「はは、相変わらずクールだなぁ、ビスタは。ああ、紹介するよ、この人は勇者のカーターだ」

「知っています」

「はっはっは、そうつんけんどんしないでくれよ。寂しいじゃないか」

「地がこうですので」

ナイアの言葉に淡白に返答していくアヌビスことビスタ。ビスタは氷のように無表情で無感情だった。
そんなビスタの氷の視線が俺に定まる。

「ようこそ、おいでなさいました、カーター様。我らが仕掛けた罠をことごとく突破したその腕前、さすがの一言につきます。つきましては罠の改善点を教えていただく思うのですが」

ズイッズイッと俺に詰め寄るビスタ。無表情ながら怒っているような不機嫌なように見えてしまう。

「やめたげなよ、カーターが困っているじゃないか」

「改善点を早急に見つけないと侵入者を許してしまいますので」

「おや、そっちかい?カーターにこてんぱんに追い返されたスフィのことを思っての当て付けだと思ったんだけど」

「スフィは自業自得です。正々堂々とか言って、罠と同じタイミングで襲いかからないからです」

「はっはっは、厳しいなぁ、ビスタは」

ツンとしているビスタに、軽快に笑うナイア。その朗らかな笑みが、しかし、不意に変わる。刃物を帯びたような細く鋭い笑みに。

「だけど、今は無理だよ、ビスタ。今、カーターは僕のなんだ。君に渡すわけにはいかないな」

「しかし、一刻も早く罠を、」

「ビスタ」

大きい声でも、張った声でもない。しかし、ナイアのビスタを呼ぶ声は部屋中に響いた。響いたと思うくらい、なにか強制力のある言葉だった。
そして、その強制力をナイアは形にする。

「《赤ちゃん孕むまで夫と不眠不休でセックスして来なさい。その子宮に、愛しの旦那の精液を、孕むまで、受け止めるんだ》」

その瞬間だった。

今まで、クールで無表情で無感情だったビスタの表情が嘘のように、真っ赤に染めて目尻も涎も垂らして、まるで娼婦のような蕩けきった表情に変わったのは。さらに、股の部分からプシャーと噴水のような音が聞こえ、股から床に水のようなサラサラな汁を撒き散らす。
俺は訳もわからず、唖然とその光景を見ている他なかった。

一瞬にして発情した犬へと変貌したビスタは言う。

「かし、こまりましたぁ、赤ちゃん孕ゃんできましゅうぅぅ!」

呂律の回らない声で答えたあと、ビスタは俺を押し退け、部屋を出ていく。

「孕むぅ孕むのぉ!赤ひゃん孕ゃむにょぉぉぉぉぉぉ!」

そんな声を廊下に響き渡り、ビスタの声は遠くへ消えていった。

「……………………」

なんなんだこれは。いったい何がどうなっているんだ。貞淑というか、性的事情からほど遠そうな彼女が、ナイアの言葉一つで、あんなにも乱れてしまうなんて。いったい何が起きたというんだ。

「さぁ、カーター。邪魔物は居なくなったよ。僕ともっとお話をしようじゃないか。さぁさぁさぁ」

いつの間にかベッドに腰掛けていたナイアが、くいくいと指でこちらに来いと言ってくる。

「ぁ…………」

俺は何故かわからない。逃げないとと思った。早くここから逃げないと大変なことになる。自分が自分でなくなって、今の自分がこれから先永劫の眠りについてしまうと思った。
だから、俺はナイア様の足元に跪いた。

「っ!?」

俺は、なにをして……。

「ふふ、そうかいやっぱりそこに行くか。さすが僕の――になる資格がある人だ」

「な、にを」

「ふふふ、カーター、君が王たる僕に従属したがっているのさ。服従したがっているのさ。だから、今、君はこうしているのさ」

なんだ。なにを言っている、ナイアは。おかしいぞ。さっきまで普通に話していただけじゃないか。それがどうしてこうなる。なんで、俺は跪いている。なんで、ナイアは娼婦の笑みを浮かべている。
なんで。どうして。

「ナイア、俺に、なにをし、た」

原因がわからない以上、なにかしたのはナイアのはずだ。そうだ、そうに違いない。くそ、迂闊だった。人の姿形をしているとはいえ、こいつは魔物。
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