大型バイクのVツインエンジンが、気だるげな低音を響かせていた。
ドッドッドッ、という規則的なアイドリングの振動が、シートを通して臀部から背骨へと伝わってくる。午後2時の日差しは、10月にしては強すぎる。アスファルトから微かに立ち昇る陽炎が、前方の視界をゆらゆらと歪ませ、信号機の赤色を滲ませていた。
フルフェイスのヘルメットの中で、荒木タツヤは一つ、重たい息を吐いた。
アクセルを回せば、風になれる。鉄の塊に跨り、加速でかかるGに身を任せている間だけは、自分が何者でもないただの風になれる気がした。だが、どれだけ風を切って走っても、タツヤの背中には見えない「豆腐」の二文字が張り付いていた。
タツヤの実家はこの町の商店街にある、創業80年の老舗『荒木豆腐店』。老舗の高級旅館から国賓がもてなされる格式高い料理屋まで取り寄せ注文がある、豆腐屋の中でも右に出る者のいない、確かな実力を認められた豆腐屋である。そんな豆腐屋の1人息子の彼は、物心ついた頃からその跡取りとして育てられたのだ。
朝4時の起床と仕込み、水温の厳密な管理、大豆の選別、大豆を水で洗って浸水させるところから始まる豆腐作り・・・他にもたくさんの工程を踏んで作られるのはまごう事なき純白の塊・・・それが豆腐。
それを毎日休みなく作り続ける両親は、間違いなく尊い職人であり、この国の文化と食卓を支える誇りある職業だ。そんな両親のことは心から尊敬しているし、出来立ての豆腐の香りも嫌いではない。だが、25歳の男が一生を捧げるには、そのレールはあまりに強固で、一直線すぎた。他の可能性を考える余地すら与えられず、決定づけられた未来。それは、水槽の中で飼われる魚の安寧に似ていた。
「・・・・・・また、ここまでか」
バイザー越しの景色に、隣町との境界線を示す青い看板が見えてきた。この先をさらに20分ほど走れば、高速道路のインターチェンジがある。そこに乗れば、どこへだって行けるはずだ。海へも、山へも、誰も自分を知らない都会にだって。
けれどタツヤは、いつものようにウインカーを出し、Uターンをした。遠くへ行く勇気はない。それは、今の生活を捨て、老いた両親を裏切ることを意味するからだ。豆腐屋を継ぐことへの僅かな抵抗と、何時までも踏ん切りがつかない自分への苛立ち。中途半端な反抗心を持て余し、ただガソリンを燃やすだけの逃避行。その鬱屈した感情を振り払うように、タツヤは乱暴にアクセルを開けた。エンジンが咆哮を上げ、車体を加速させる。
隣町にまで走っておきながら、結局最後に向かう先は・・・いつも時間を潰している、街を一望できる高台の展望台だ。そこから見える景色が好きだった・・・そう、この町で豆腐職人として生きていくのだという気持ちを湧きおこらせるための行為だ。
・・・それが何とも物悲しい、自慰行為に過ぎないと分かっていても。
――――――――――――――――――――
エンジンの熱気と自分の体温で蒸れたヘルメットを脱ぐ。乱れた髪を適当にかき上げ、タツヤはバイクを降りた。高台の展望台には、冷ややかな秋の風が吹いていた。眼下には、タツヤが生まれ育ったベッドタウンが広がっている。しかし見飽きた景色だ・・・どこにでもある住宅街、駅前の商業施設、そして彼を縛り付ける実家のある商店街。灰色の屋根が連なるその風景は、タツヤの心象風景そのものだった。
煙草でも吸おうかとポケットを探ったタツヤの手が、ピタリと止まる。先客がいたのだ。だが、それはタツヤが知る「人間」の姿ではなかった。所々の塗装が剥げ、錆びついた柵にもたれ掛かるようにして虚空を眺めている女性。まさしく金の糸と表現するに相応しい、美しい金の長髪が、風に遊ばれている。身に纏っているのは、ボディラインを容赦なく晒すタイトなニットワンピースだ。色は深みのあるワインレッド。背後から見たって分かるほどの、その豊満すぎる肢体もさることながら・・・タツヤの目を釘付けにしたのは、彼女の背中だった。
そこには、アッシュブラウンの翼が生えていたのだ。
作り物ではない確かな正対由来のそれは、鳥のそれよりも大きく、蝙蝠のそれよりも優美な、2対の翼。夕闇に溶け込むような灰茶色の羽毛が、風に煽られて揺れている。それは「堕天使」という言葉を具現化したような、かつての輝きを失った灰のような、けれどどうしようもなく美しい色をしていた。昼の逆光の中に浮かぶそのシルエットは、神々しくもあり、同時に人間社会の理から外れた異質な存在感を放っている。
「魔物娘・・・ってやつか」
タツヤの口から、乾いた言葉が漏れた。この世界には、稀に人ならざる存在――魔物娘が現れるという話は聞いていた。だが、まさか自分の住む退屈な街に、これほど美しい個体が現れるとは・・・このまま後ろからジッ
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