「生きとし生けるものが死に絶えたかのような夜ね」
お嬢様がそんな不吉な例えをするくらい、今夜はとても静かでした。
「どうしたの?」
「いえ、こういう時はたいていあの方が来訪すると相場が決まっていますので」
あの方というのは、お嬢様の姉にあたる女性で、蝙蝠の仮面で
お嬢様に勝るとも劣らない美貌を隠して『闇姫』と名乗る、一部の者を除いて
誰も正体を知らない謎のヴァンパイアなのです。
「リューゼ姉さんなら、どこかの洞窟で逆さまになって
天井からぶらさがってるのではないかしら?」
「またそのようなことを…」
無駄だとわかってはいても一応たしなめておきます。無駄ですけど。
「けれど、あなたの推測もあながち的外れではないわ。
風も獣も沈黙を守るこんな夜に訪れるのは、死者か、死に魅入られた者くらいよ」
……あの方は雰囲気を壊したり場の空気を乱すのが得意なので
騒がしさとは無縁なこの夜にはいつにも増してテンション大盛りで
駆けつけてくる気がしただけなのですが……まあいいです。
「おや?」
噂をすれば影……ですかね。
あの方とは真逆の雰囲気を漂わせた、剣呑な影ですが。
「窓の外を眺めるのに夢中みたいだけれど、タイプの娘でもいたの?」
「よくわかりましたね」
僕が間髪いれずにカウンターを入れると、お嬢様は眉根を寄せて
「ちょ、ちょっとウィット、あなた」
面白いくらいに動揺しました。この程度で焦るところが
彼女の可愛いところです。こんな夜更けにヴァンパイアの屋敷の周りを
ウロチョロする人間がいるわけないのに。
つまりは、聡明なお嬢様がそんな簡単な答えを導き出せないくらい
僕にまいっているということなんでしょう。ちょっと照れます。
「ただの野良犬ですよ。
とはいえ、居つかれたりナワバリにされても困るので、追い払ってきます」
「しょ、そ、そうならいいわ。ふふん」
自分は動揺してないとアピールしたくて鼻で笑ったようですが、
真っ先に言葉を噛んでおいてそれは無理があります。
「それでは失礼します」
一礼し、お嬢様の部屋から出て行こうとすると、
「わかってるわね?さっさと戻ってきてチェスの続きをやるわよ。
…………………………それと、け、怪我、しないでね」
後半部分は、ドアが閉まる直前に小声で聞こえてきました。
「招かれざる客のために開け放たれる扉は、この屋敷にはないのですが」
「……そりゃそうでしょうね。
だから窓からこっそり忍び込もうかと思ったんだけど、バレバレ?」
僕の目の前には変人がいました。
タンクトップにホットパンツという健康的で開放的な服装に
狩人がよく愛用しているタイプの帽子やブーツを合わせた美女が、
レイピアと呼ばれる細身の剣を抜いてこちらに切っ先を突きつけているのです。
よく見ると、衣服として役に立つのかどうかわからない
丈の短いマントのような上着も羽織っていました。
いったいどういう職業の人間なのかさっぱりわかりません。
「失礼ですが、普段は何をなさっている方で?」
「この状況で最初に聞くのがそれ?」
「なぜそんな統一感の無いファッションなのかと思いまして」
「ちょっと、ホントに失礼ね。ダンピールという種全体に対する侮辱よ」
ああ、魔物さんでしたか。
それはそうと……ダンピールというと、お嬢様の天敵みたいな種族でしたね。
ヴァンパイアから太陽のように力を奪い
真水のように理性を剥がすという話を聞いたことがあります。
「ここいら一帯を守護する代わりに男を要求する
高圧的なヴァンパイアの一族がいると耳にしたんでね。ちょっと様子見に来たのよ。
もし、手に入れた男に対してもそんな態度なら『教育』してあげようと思ってね」
薔薇のトゲ抜きでしたら僕一人で間に合っているのですが。
「しもべに傲慢な振る舞いをするのは主人として当たり前でしょう?」
うわっ。面倒なことになっちゃった。
「お、お嬢様、どうして来てしまったのですか?」
「どうしてって……小汚い野良犬を退散させに外に出たはずのしもべが
木陰から現れた見知らぬ魔物と会話してたら、来ないほうがおかしいわねぇ……」
お嬢様の部屋の窓からは見えない場所を選んで
侵入者と対峙していたのですが、僕が心配になってつい来たのでしょう。
「野良犬とは言ってくれるじゃない。これだから高慢な魔物は嫌いなのよ」
「それは願ってもないことね。私としても
あなたのような低俗なつまらない種に好かれては非常に困るし」
二人の魔物娘の視線と視線がぶつかって火花が散りました。
これは比喩ではありません。もしかすると、挑発によるいらつきのせいで
お互いが魔力を漏らしてそれが視線に帯びてしまっているのかもしれません。
本当に二人の中間でバチバチ光っているのです。
「うふふ、獣の躾をするには、私の得物は実にうってつ
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