「それでね、ぼくカズと一緒に川に飛び込んだんだけどね!…」
「はいはい、もうっ、こんなに顔をべたべたにして。ちょっとお顔をお貸しなさい」
「んぐんぐ…ぷはぁっ!それでね!そしたらいっぱいおさかなさんが居たのがピュ〜って逃げちゃってね!」
「あらあら、そんな風におしゃべりばかりしているとカズ君との約束に遅れるんじゃなくて?」
「あ!うん!!」
シャクシャクとかきこむような音を立てながら真斗は冷えたスイカを食べる。ふきんでまた顔を拭かなきゃだめね、と絹代はすこしため息をつく。立っていた尻尾が少ししおれる。
ここは彼女の祠の裏手の大きく開けた土地にある和風の屋敷だ。人除けの結界を張り巡らされているため、誰も来ないが一度に100人以上が生活できるだけの広さがある。黄色いかやぶき屋根や、屋敷と同じくらい広い何もない白い砂の庭が陽光を反射するようにまぶしい。遠くには竹矢来が庭を囲い、その向こうは生い茂った木々が青々と葉を伸ばしている。その向こうに見えるのは青い空と入道雲であった。
絹代は藍染の浴衣に白い帯、真斗は灰色の甚平といういでたちで縁側に並び、よく冷えたスイカを食べていた。瑠璃色の風鈴が涼しい音色を奏でる。
二人並ぶ姿はさながら親子であったが、この二人、実は親子ではない。
もう何年前になるだろうか。ある日絹代がふと気配を感じ、自分を祭っている祠に行くと赤子がひとり、置き去りにされている。放っておけばこの子は死んでしまうだろうし、この場面を人に見られたらまた多くの赤子が捨てられるかもしれぬ。ということで絹代は赤子を屋敷に連れ帰ったのだ。
子育てなど知らずとも、赤子は容赦を知らない。腹が減ったと泣き、排泄のときも泣き、と絹代はてんやわんやであったが、自分に抱かれて眠る赤子に負けてしまい、気が付けば少年と呼ばれる時期までに大切に育てていた。
一方真斗はと言えば絹代のことを母と慕い、健やかな好青年ならぬ好少年に育っていた。
さて、ここ数日の暑さのため、ここ数日は縁側で屋敷の反対側までの障子をすべてあけ風を通し、そうめんとスイカを食す日々であった。
「でね!でね!!今日は森に入るんだ!」
「はいはい、虫に刺されたらことです。これをお持ちなさい、虫よけの呪が込められています。」
「でもこれじゃあカブトムシもクワガタも逃げちゃうよ〜」
「この間も体中痒い痒いと言っていたではありませんか。」
「もぉ〜」
『まーなーとー!はーやーくー!』
「あっ!カズっ…ちょっと待っててー!!」
スイカをさっさと食べ終わると真斗は縁側の草履をはき、竹矢来の途切れる場所まで走る。彼との待ち合わせ場所はここから近いためあちらの叫び声は聞こえるが、人払いの結界のため真斗がいくら叫んでも意味はない。真斗はこちらに手を振りながら走っていた。手を振り返し、やがて彼の姿が見えなくなった。
束の間の静寂。彼女は食べ終わったスイカの川を皿に置き、上品に口元を手拭いで拭う。正面の入道雲を眺め、拭いてくる風に目を閉じる。
いつまでそうしていただろうか。彼女は少し目をあけ自分の胸に手を当てる。
少し前から、彼女は自分の乳房が張ってきているのに気付いていた。最近も少し寝相が乱れてきたように思う。
(たぶん、私は)
どういうわけか最近、真斗の少年らしい、小柄で愛らしくも、力に満ちた体を見ると体の芯が熱くなることがあった。
(私は、彼を)
いや、どういうわけかはわかっている。
(私は彼を襲うだろう。)
それは妖怪として正常なことだ。彼女もそれが嫌だと思っているわけではない。人里離れたこの場所に男など望むべくもなかった場所で彼のような「当たり」を引くことができたのは本当に良いことだ。自分の手練手管にも自信はある。体も心も、私なしではいられないようにできるし、それを望んでもいる。自分の中の情熱に驚きながらも、思う。
(でも…)
(この、)
(この色事のない、さりとて不快でもない…)
(この、時間は……)
彼女はゆっくりと立ち上がる。この皿を洗い、夕飯の準備をする必要があるだろう。ここ最近はそうめんばかり。夏を乗り切るために、何か力の付くものがいい。たぶん彼はとても汚れて帰ってくるだろう。その時はうんと洗ってあげないといけない。それから。寝床には蚊帳を……
思案しながら彼女は奥に戻っていく。誰もいなくなった縁側で風鈴がまた少し揺れた。
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