ある幸福な夫婦

海は澄み渡っていた。
一点の曇りも穢れも存在しないただ青いだけの世界と、それを眼下に広げることが出来る小高い崖があった。もしこの土地を売りに出せば、世界有数の大金持ちが集まり凄まじい値がつけられるだろう、それほどまでに絶景だった。
しかし、未だこの地を買うものは出ておらず値段すらつけられていない。なぜならばここは人跡未踏の地であり、訪れる者といえば迷った挙句に偶然立ち入るか、極端に人目を避けた挙句にたどり着くような者だけだった。
そして今、一人の男が崖の一番端に後者の理由で佇んでいた。見渡す限りの心が表れるような景色。男はそれをみて僅かに笑うと、自分の手足に金属製の輪を取り付け、その身を投じた。男の体は風に煽られることもなく一直線に海に向かっていき、水面に激突するとそのまま海底へと沈んでいく。男が大きく水を吸い込むと、当然ながら全身に激痛が走った。それに耐えながら男は思う、「もう少し、もう少しで全てが終わる」と。
だがそんな男の予想は大きく外れた。いくら耐えようとその先にあるはずの終わりは訪れず、苦痛だけが変わらず男の体を蝕み続けていた。
「し、死ねないッ・・・!?」
そう悟ると男は必死に浮き上がろうとする。しかし皮肉にも男が別の苦しみから逃れるために取り付けた金属の輪がそれを許さなかった。男は絶望した。人が逃げられる最後の場所にさえ、自分は行くことができず、このまま永遠に苦痛と共に生きることになるのか。
一体自分は何のために生まれ、いままで生きてきたのか。
その時、男が全ての思考を停止させる寸前に、何かが自分の体を掴むのを感じた。男は瞬時に浮上し、そのまま大空に掴み上げられた直後に彼の意識は途絶えた。

「・・・ねぇ!・・・死んじゃったの・・・?」
崖の半ばほどにあるやや広い洞窟の中で、青い羽と鉤爪をもつ少女が必死に横たわる男に向かって声をかけていた。しかしそれには応じず男は眠り続けるため、彼女の目には涙が溜まっている。
「う、ぁ・・・」
ようやく男は呻き声をあげながら覚醒した。それを見たセイレーンは大喜びで彼に抱きつく。
「良かった・・・!生きてた・・・!」
男は少女がいきなり抱きついてきたことにより完全に意識を取り戻した。そしてすぎに自分が今いる状況を彼女に尋ねる。
「ここは・・・?」
「私の家だよ、ただの洞窟だけどね。あんたが沈んでた場所からそう離れてはないよ。」
「じゃあ・・・」
自分はまだ生きているのか、と男が落胆する。少女がその様子を見て首を傾げるも今はそれどころではない。これからどうするべきなのか、男は悩んだ。もちろん、すぐにでもここを飛び出し命を絶てば幸いなのだが、その手段を考えるたびにあの激しい苦痛が思い起こさせる。また失敗したら・・・それを考えた上で行動に出る程の勇気を男は持ち合わせていなかった。結局男は堂々巡りの思考をやめて、さっさとこの場を離れようという結論に至った。
「ありがとう、助かったよ・・・じゃあ」
に偽りの例を述べながら立ち上がろうとすると、少女があわててそれを制止した。
「ダメ!身体冷え切ってるんだよ!?そんな状態でこのまま出て行ったら・・・」
そうかその手があったな、と男は気付く。まさか自分が不老不死だという訳でもあるまい、先ほどの現象はさっさと忘れて衰弱しきってしまえばいいのだ。しかし残念ながらその案も実行することは出来そうになかった。このセイレーンの少女が許しはしないだろう。
「まだ寝てたほうがいいよ、起きたらたぶん今よりは楽になるから」
男は諦めてそれに従った。このまま目覚めることがなかったら・・・などと淡い希望を抱きつつ目を閉じたが、その間も少女が懸命に看病し、その願いが叶うことはなかった。

男が再び目を開けると、すぐに少女が駆け寄ってきた。
「おはよう!気分どう?」
男は黙ったまま目を逸らした。少女は気にせず男を質問攻めにする。
「ねえ、名前なんていうの?あ、私は海道アヤメっていうんだけど」
「・・・月島昇一」
「ふーん・・・じゃあ、昇一はなんで沈んでたの?手足になんかついてたけどさ、もしかして誰かに捕まって・・・?」
「・・・」
昇一は答えない。彼女に自殺未遂などといったらどんな剣幕になるか考えたくもなかった。どうやって誤魔化すか悩んでいると、二人の腹の虫が鳴いた、それも同時に。洞窟の中なので二人には見えていないが、このとき太陽はほぼ真上に位置していたのだった。
「あ・・・その前に、なんか食べよっか」
アヤメがやや恥ずかしがりながら立ち上がるのに対し、昇一の表情には何の変化も現れない。無論、彼に食欲など微塵もない。「やめろ」と言いたげにアヤメを見るが、すでに昇一に背を向けて鼻歌混じりに台所に立っており彼の視線に気付くことはなかった。
「軽いものだけど・・・いいかな」
出され
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