天駆ヤマトがこの辺境の寒村に引っ越してきてから、すでに3ヶ月の時間が経過していた。この村に住む子供の数は彼を入れて15人ほどしかいない、そもそも村の人口さえ50を切っているのだ。そんな狭い子供のコミュニティの中でも排他的なことは一切なく、ヤマトはその全員に友人として迎えられていた。
「ああもう、わかんねえよ、つーかわかるわけねーだろ!」
にも関わらず、現在ヤマトは友人達と遊ぶことなく自分の部屋の机にかじりついて、目の前のノートに握った鉛筆を右往左往とさせていた。ノートの左に開かれた教科書にはいくつかの問いかけが綴られていたが、ノートにはその解の一つさえ記されていない。
「なんで分かんないのよ、授業で飽きるほどやったのに」
そしてヤマトの隣に立ち、呆れ返った様子で教科書を眺める彼女こそ、彼を机へと呪縛している張本人、この地域に古くから住みつく妖怪のひとつ、烏天狗のカエデである。性格は生真面目そのもの。あらゆる規律や規則に忠実に従い、勉強熱心で成績は優秀、さらにその術の腕は大人の妖怪達に比べても全く見劣りしないなど、まさに絵に描いたような「優等生」である。
「ほらもう1回読み直して、暗記だけするんじゃなくて意味も理解して・・・」
そして出来の悪い者を見ているのは我慢がならないというのも、カエデの大きな特徴であった。勉強嫌いの悪戯好きたるヤマトは、そんなカエデの関心を一手に引き受けるのに最適の資質を備えていたのだ。
「にしてもあっついなー・・・喉が渇いちゃったよ」
ヤマトが鉛筆を置き、チラチラと横目でカエデを見ながら呟いた。これ以上ないというほどに人を疑う彼女の表情が彼の目に映る。飲み物を取りに行くフリをして逃げ出す。あるいはカエデが取りに行っている間に逃げる。ヤマトの浅はかな企みを、カエデが見抜けぬはずもない。かといって、夏も本番を迎えながら冷房もついていないような部屋にヤマトを閉じ込めているのも事実である。
「・・・まったく」
カエデは自分の表情を伺う目をしかと睨みつけ、一応は釘を差してからヤマトの部屋を出て麦茶を取りに行く。もちろん、そんな釘などいともたやすく抜いてしまうのがヤマトである。カエデが階段を降り、また戻り始めるのを確認すると、窓を開けて一番近い木の枝に飛び移る、そこから幹を伝ってスルスルと地面へ着地。ヤマトはものの数秒で自分を戒めていた勉強道具にしばしの別れを告げることに成功した。ヤマトは靴を取りに玄関へ戻る。カエデは今頃もぬけの殻となった部屋で、窓の外を必死で探しているに違いない、すくなくとも玄関に戻るのは安全のはずだ。その目論見通りに事は進み、ヤマトは悠々と友達の家へ向けて走り出した。
「もう、やっぱり!」
持ってきた麦茶を乱暴に机に置きながら、カエデは開けっ放しの窓から飛び立った。自慢の黒い翼を大きく羽ばたき、一気に高度をあげてヤマトを探す。こんなときにヤマトが向かう先は何時だって同じだ。公園か、一番近い友達の家。でも今日は真っ直ぐ家に帰って、遊ぶ約束なんかしていない。ということは、ヤマトが公園に向かう理由はない。そう判断したカエデは友達の家への一番の近道を徹底的に探し始めた。たとえヤマトの足が世界一速くても、空を飛ぶ烏天狗から走って逃げ切れるはずもない。カエデはすぐさまヤマトを見つけ、その場所をめがけて急降下する。
「ヤマト!!」
「げっ」
ヤマトが驚き振り向いたことで動きが止まる。カエデはそのチャンスを逃すことなくあっという間にヤマトの両肩を鉤爪でしっかりと掴んで再び空に舞い上がった。もう逃げられはしない、ヤマトの逃走劇はものの三分であっけなく終幕を迎え、それから二度とカエデの目を盗むことは叶わなかった。
数日後、試験が終了しようやくヤマトがカエデから解放される日が訪れた。ヤマトは村に程近い山の中で友人達と釣りに興じるところだった。エサは先ほど競って捕まえた虫が数匹。その中からヤマトは一際大きなバッタを取り出し自慢げに見せびらかす。ミミズやイモムシなどを手に持った者はヤマトに思わず羨望の眼差しを向けていた。
「どうだ見ろ。エサがこれだけでかけりゃ、とんでもない大物がかかるに決まってる!」
ヤマトは釣り針にバッタを刺して意気揚々と釣り糸を垂らし、友人達もそれに続く。それから数分後、ミミズをエサにした友人が最も早く1匹目を釣り上げた。かかったのは十数センチ程の小魚だった。ヤマトは自分が最初に釣れなかったことに少し悔しがりながらも、自ら捕まえたバッタの大きさを信じ浮きを眺め続ける。あんな魚なんか笑っちゃうぐらいのが釣れるはずだ。更に数分後、イモムシをエサにした友人が同じぐらいの魚を釣り上げた。ヤマトの心に焦りが生まれる。釣りを始めてはや数十分、ヤマト以外は捕まえたエサが無くなるまでの釣果をあげたというのに、
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