「……ん、ここ、は……」
ここは死後の世界だろうか。
真っ暗で何も視界に写らない。そして驚くほど静寂に包まれており外気はひんやりとしている。あの気持ち悪いグリドリーの気配すらしない。
カティアは寝そべりながらそう思っていた。
長い長い意識の喪失の後、次に意識を取り戻すと彼女は完全な暗黒に包まれていた。それは彼女の視点からしてみれば、の話であるが。
「あれ、何か顔に」
未だに痛む絞めつけられた首を押さえつつ、彼女はがばっ、と上半身を起き上がらせると一枚の上着が膝の辺りに落ちるのが見えた。それは大人用のコートにしてはサイズが二周りぐらいも大きなものだ。若干湿っていることから水に濡れているのだろう。
コートにより顔面を覆い隠されていたことを把握すると、カティアの視界の色が戻る。もっとも、視界が晴れたとてここは地下牢、光差し込まぬ影の空間だ。コートの中の暗闇と地下牢の薄暗い空間を比べたとしても大差はない。
「……目が覚めたか」
「ロ、ロズッ!ロズなのか!」
背中の方から聞き馴染みのある声がするものだから、つい勢いよく振り向いてしまう。その弾みで痛んだ首はねじれ更に痛みを増すことになるが今のカティアには些細な問題であった。
聞き馴染みのある声がする。それだけでこの上ない安堵が押し寄せてきたのだ。
いくら助けを呼んでも来てくれなかった人物が今ここにいる。私を助けてくれたであろう人物がここにいる。そんな単純なことですら、命の危機に瀕した状況では心の底から救われた気分になれたのであった。
「助けに来るのが遅い」だの「もっと監視をちゃんとしてくれ」だの愚痴を言いたいことは山ほどあったが、目の前の勇ましい男の背中を見ると彼女の愚痴は瞬時にして消え去ってしまった。
「お前が私を……助けてくれたのか」
「…………勘違いするな。俺は規則を破った者に制裁を加えたまでだ」
「そうか、そう……だよな」
ズキン。
なぜかロズの言葉に胸が痛む。
ロズは自らの職務を全うしただけだ。無断で独房外に出て他の死刑囚と接触し狂行に走った者を処罰しただけだ。
そう、何もおかしくはない。ごくごく当たり前のことだ。
だというのに――
なぜかそれが心の中のわだかまりとなってもやもやと燻っている。私が欲しかった答えはそれじゃない、と。
首を押さえながらロズを見返すカティア。
「……すまなかった」
「執行人が死刑囚に謝るだなんてそんな」
「……執行人の管理不行き届きでこうなったことは事実だ」
「だとしても、肛門に工具を隠し持ってるだなんて予想できるわけないだろう?」
そう言い二人はグリドリーを視線に入れる。
鉄格子の下で白目を剥きながら横たえているこの男は口をあんぐりと開けたままの状態でピクリとも動かない。
だというのにもかかわらず、未だにその手はカティアの首を絞めていた形を保っている。よほど絞め殺したい思念が強かったのだろう。
カティアはつい数分前の出来事を思いだしぶるっ、と身震いするのであった。
「死んだのか……?」
「まさか。こういうヤツは殴っただけじゃ死なん」
「殴っただけでこの有様とは……」
「手加減はしたつもりだ。殺してしまっては元も子もないからな」
横たえるグリドリーを見てカティアは再度安堵した。
あと数分首を絞められていたら確実に自分はあの世へ逝っていただろう。そして自分の死体はヤツの慰み者になっていたのだろう。そう考えると恐ろしくて仕方がなかった。
しかし、そのカティアを助けたのはいずれカティアを死刑執行するロズであるというのがなんたる皮肉か。
カティアは命を救われたわけではない。死ぬ時期が少し延びただけであるのだ。
「…………震えているのか」
「え――あ、ああ……これは」
気がつくと自分の腕は震えていた。
腕だけではない。足も笑い、腰は抜け、体全体の力がフッと息が切れたかのように虚脱していた。
人の狂気を間近で目の当たりにし、身をもって死ぬということを直前まで体験した恐怖は並々ならぬものではない。
それら恐怖が安堵したことにより再びフラッシュバックし、カティアの全身を襲うのである。この世のなによりも暗く冷たい感覚、生命活動の終了を告げる証。
生きとし生ける者ならば誰しもが恐れおののく感覚。それが「死」というものだ。
「はは、無様なものだ」
「…………」
「罪を受け入れる?死をもって償う?この口がよく言えたものだ……」
ぶるぶると震える手を見つめ、カティアは呟く。
それは今まで包み隠してきた本音が出た瞬間であった。
圧倒的な恐怖を前に虚勢を張ることができなくなったのか。それとも、何らかの影響で本音が出やすくなっているのか。それは誰にもわからない。
震えるカティアを察した
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