「手伝えなくてすまんね、書類の処理に時間かかっちまってよ」
看守室へ戻ってきたロズに対して、卓上に伏していたミックは顔を上げながらそう言った。既に書類は数冊の束に纏められており処理は終わっているらしく、彼の顔色には若干の疲れが浮かび上がっている。
しかし、疲れ顔なのはミックだけではなく、眼前に聳えるこの大男ロズもまた気力の抜けたような疲れ顔をしていた。精の抜けた顔、例えるならばそうであろうか。
「……」
すやすやと眠るカティアを起こさないようそっと独房へ置いてゆき、ひとり静かに戻ってきたロズ。「これ以上はやめろ」という執行人命令を背いたカティアにそれ相応の処罰を下そうとも思っていたのだが、艶のある寝顔を見るとどうにもそうする気にもなれない。そして、その寝顔が在りし日の光景を否応なしに想起させるので尚更ロズのやる気を減衰さているようであった。
ともかく、彼はカティアに何をすることもなく穏便に隠密に戻ってきたのであった。
「あン?どうしたそんなシケた面しやがって」
「……すこし風に当たってくる」
ロズはそれだけ言い残すと、出入り口の扉を開けて外へと出て行ってしまった。連日降り止まぬ大雨と轟雷の下、傘すら持たず雨の中へ消えてゆく。これでは風に当たるというよりは雨に打たれると言ったほうが正しいのかもしれない。
そして、らしくないロズの背中を見送るミックは「何かあったな」と直感した。
彼の知るロズという男は、クソがつくほど大柄で、無愛想で、そして几帳面である。煙草の吸殻を踵で踏みつぶすだけで露骨に顔を歪ませ、靴の砂埃をテーブルの上で払うと額に青筋が浮かび上がるほどの几帳面さである。
そこまで几帳面な男が、大雨の降る外に傘も持たず出かけるということがありえるだろうか。傘は看守室にいくつかストックしているので、少なくとも傘がなかったがためにそのまま外に出たということはない。出入り口のすぐ側に置いてあるので気がつかなかったというわけでもないだろう。
「ま、大体察しはつくけどよ」
すぅー……ともう一本煙草を大きく吸い込み煙を肺に溜める。
それを一気に吐き出すと、吸殻をいつものように踵ですり潰し床に灰色の滲みを生成したところですっくと椅子から立ち上がった。
若干クラッとめまいがした後、煙草の効能により冴えた頭で独房の方へと向かい始める。
―――――
カコン、カコン、カコン……
相も変わらず薄暗く、錆びた水溜りとボロ布と小動物の死体が散乱する独房区画。先ほどまでロズが歩いていた場所を、今度はミックが慣れた足取りで進んでいる。
一時期はロズがその持ち前の几帳面さで掃除しようとも計画していたらしいが、いくら掃除せども無限に沸く蛆とネズミの数の暴力には勝てずなくなく諦めたという過去があるという。
「よぉ気分はどうだこのクソ野郎」
「ぐひっ……オマエかァ」
「お、ちったぁまともに話せるようになってんじゃねーか」
独房の隅でしゃがみ、縮こまっている人影に語りかけるミック。
その人物が声に反応しミックの方ににじり寄ると、痩せこけた容貌が露になり生理的嫌悪感を感じさせずにはいられないものだ。
その人物、グリドリーは両手で鉄格子を掴むとじろ、と湿った目つきでミックを睨み返している。
「ク、クスリを出せっ……オンナでもいいぞォ……」
「あー?誰に向かって口聞いてんだ」
「ぐぐぐげ、アレがないとオデは……オデは……アアアッ」
そう言うとグリドリーは頭を、腕を、顔面を両の手で掻き毟る。クスリが切れた禁断症状なのか、はたまたオンナを殺せない鬱憤からか、もしくはその両方からなるストレスが引き起こしているヒステリーだ。体のいたるところに刻まれている血の滲んだ爪痕がいかに力強く自らの体を痛めつけているかがわかる。
「俺はな、お前をどうやって殺そうかずっと考えてんだよ。お前はどうやって死にたいんだ、え?」
「クククク……俺はオンナを殺したいナァ」
「……ンなこと聞いてねえんだよオラッ!」
ガシャァン!!
直後、ミックの脚は宙へと振り上げられ、眼前の堅牢な鉄格子に向かって皮製のブーツが叩きつけられた。
勢いよく鉄格子を蹴るとその金属音が地下牢全域に響き渡り、錆水の水溜りの波紋が揺れ、音が反響する。金属の甲高い音ではなく、パイプ状の巨大な金属管が鳴り響いた伸びやかな低音である。
その音はひととおり響音すると、やがては石畳が吸収して再び地下牢に静寂が戻った。
分厚い皮のブーツのソールが再び床の石畳へと着地すると、ミックは悪態をつき独房内を見下ろす。
「人の話を聞けこのクソが」
「うげっ、げげっ、乱暴だな……あう?爪が」
気がつくとグリドリーの片手指の爪が剥がれていることに彼自身今発
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