【いにしえの時代、魔物の森を焼き払おうとし、逆にその■■に魅了された聖職者がいた。 彼女は自ら放った火の煙に咽び、喉が裂けたとき、降り注ぐ■■を「天の慈雨」と見紛うほどの法悦に浸ったという。
彼女が最期に飲み込んだ、己を裏切った声帯の、甘く、無惨なほどに蕩けた残滓。それは濃縮し、凝固し、澱み溜まった膿となり、ひとつの個となった。
祝福を浴びるたび、喉は人の言葉を忘れ、湿った森のさえずりを奏で始める。それは福音か、あるいは終焉の警鐘か。】
「いらっしゃいませ……ようこそ"ぬけがら屋"へ。どうぞごゆっくり御覧くださいませ。身近な日用品から禁じられた遺物まで数多く取り揃えておりますゆえ、お気に召されるものがございましたらいつでもご相談ください。
オヤ……何かひどく憔悴しているご様子……まるで、大切な歌声を失ったかのような……
その悲痛な渇きを潤す、とっておきの品に心当たりがあります。
この小瓶が『聖息域の福音(ブレス・サンクチュアリ)』と呼ばれる特殊な飴細工にてございまして……エエ、ハイ……
ただの薬とは違い、これは深緑の森の奥深くで……いえ、成分の話は野暮でしたね。とにかく、枯れた喉を劇的に癒やす強いまじないが込められておりまして……一粒舐めるだけで、乾いた喉はたちまち森のような潤いを帯びることでしょう。
どうぞお持ち帰りください……エエ、ハイ……その瓶の蓋を開けるか否かは、貴方次第です。
代価?私はただこの飴がもたらす『結果』を見届けられればそれで良いのです……
それでは……甘い果実が実るのを、お待ちしております……」
―――――
石造りの聖堂は、底冷えする墓所のように静まり返っていた。
かつて、この場所には「天使の歌声」と謳われた福音(ゴスペル)が満ちていた。無垢な少女の祈りが、ステンドグラスを透過する光のように降り注ぎ、民の恐怖を拭い去っていたはずだった。だが今、高い天井に反響するのは、乾いた肺が痙攣する、ヒューヒューという頼りない風切り音だけだった。
「……ッ、か、……あ……」
簡素な寝台の上で、エリスが身をよじる。十四歳という年齢には不釣り合いな重厚な法衣は乱れ、痩せた胸元が激しく上下していた。彼女は何かを伝えようと、必死に喉の奥を震わせている。しかし、その声帯はすでに過酷な説法の代償として焼き切れ、ただ掠れた摩擦音を漏らすことしかできない。
口元を覆った白い布に、鮮やかな朱色が滲んだ。鉄錆の臭いが、香炉の香りと混じり合って鼻をつく。
「もういい……もういいんだ、エリス」
私はたまらず、彼女の小さな肩を抱き寄せた。神の代弁者として崇められたその体は、驚くほど軽く、そして壊れ物のように震えている。彼女の瞳――かつて希望そのものだった碧眼――は今は涙で潤み、音のない謝罪を繰り返し訴えていた。
祈りは枯れ果てた。
神は沈黙し、残されたのは声を失った少女と、無力な兄である私だけだった。
彼女が聖女の座に就いたのは、わずか三年前のことだ。
魔物の侵攻が激化する「この国」において、人々は剣や盾よりも、すがるべき偶像を求めていた。白羽の矢が立ったのが、類稀なる魔力と玉のような美声を持っていたエリスだった。
それからの日々は、聖務という名の緩やかな処刑だった。
来る日も来る日も、彼女は最前線の砦や聖堂のバルコニーに立たされ、喉から血が滲むまで聖句を叫び続けた。彼女の声に乗る魔力だけが、兵士の恐怖を麻痺させ、死地へと駆り立てる唯一の興奮剤だったからだ。
「……う……ぁ……」
エリスが再び咳き込み、身体をくの字に折る。
私は水差しから杯に水を注ぎ、ひび割れた彼女の唇に押し当てた。喉を通る水音さえもが、砂利を踏むように痛々しい。
飲み込み終えると、彼女は枕元の羊皮紙に震える指を走らせた。そこには、インクの滲んだ文字でこう記されていた。
『なかないで。わたしは、まだ、いのれるから』
その文字を見た瞬間、私の中で怒りとも後悔ともとれぬ、言いようのない濁った感情が臓腑の中を駆け巡った。
まだ、祈れる?
これほどボロボロになり、声を奪われ、明日をも知れぬ身となってもなお?
彼女はこの教団の教義に縛られているのか。それとも、そう思い込まなければ自身の人生が無意味だったと認めてしまうのが怖いのか。
彼女は聖女などではなかった。
教団という巨大な機構に組み込まれた、交換可能な部品――ただの「生きた拡声器」だったのだ。
そして今、その部品は摩耗し、焼き切れ、無惨な廃棄物としてここに転がされている。
「……少し、風に当たってくるよ」
私は彼女の汗ばんだ前髪を払い、逃げるように立ち上がった。
エリスは音もなく微笑み、またすぐに浅い眠りへと落ちてい
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