は・じ・め・て しましょ♪

薄暗がりの中、若い男の声が朗々と響いていた。

「……我は求める、この願いと対価の元に、汝よ速やかに来たれ!」

その一節を最後に、眩い光が暗がりを掻き消す。
あらわになったのは小さな部屋だった。
シングルベッドと大きな本棚、机に椅子がひとつずつ。
そして奇妙な形の陶器や、得体の知れない液体の入った透明な容器が並ぶ棚。
僅かに覗く床には、一枚の羊皮紙。黒いインクで綴られた呪文と、中央の五芒星が目を引く。

発光源は羊皮紙の五芒星だった。

長めの黒髪を額で分けた、細身の銀縁眼鏡を掛けた青年が、
目を血走らせながら発光する羊皮紙を凝視していた。
だが、だんだん発光が収まって行くにつれ、落胆したように息を吐いた。

「はは……こんなもんか」

疲れ切った、力の無い笑みと声。
青年はそのまま、両手で顔を押さえながら、膝をついた。

この青年、名をピヴォワンという。
ある地方都市のアカデミーの薬学部に通う、19歳の学生だ。
薬学部の生徒が、なぜこんな召喚師じみた真似をしているのか。

彼に女性経験が無かったからである。

ピヴォワンは、やや目付きが悪いが、平均よりは整った顔立ちの持ち主だった。
ただ、いかんせん奥手であった。
というより、女性に声を掛けて、口説き落とす方面の技術が無かった。
拒絶されるのが怖かったというのもある。  ヘタレめ。

そして、娼婦を買うという選択肢も、彼は除外していた。
金銭的な理由もあるが、同類の友人が、爪に火を灯すような倹約の末、娼館へ行ったところ、
敵娼となったのが、どう見ても四十は下らない大年増だったからである。

ヤる事はやったが、そのまま彼は消チン…じゃなかった消沈し、失踪した。
半ば気が触れたような状態で都市郊外の森へ迷い込んだそうな。

されど、禍福は糾える縄の如し。
件の友人は、森の奥深くにてひとりのドリアードに見初められ、
そのままヒモに……もとい、即日同棲の運びとなった。

森に住むハーピーが届けて来た手紙には、コトの顛末とともに
「この樹から動けなくはなったけど、今の俺は幸せです」と書かれていた。

次の休日に、ピヴォワンは手紙に記されていた地図を頼りに、
ドリアードの樹へ足を運んでみた。

緩み切った馬鹿面のあんちくしょーが、温厚そうな褐色の美女と、
くんづほぐれつしている真っ最中だった。

嬌声と水音に弾かれたかのように彼はきびすを返した。
その足下には血涙と、人前で口にするには憚られる体液が滴っていたかもしれない。

手紙とあの光景は、ピヴォワンを決意させた。

魔物に、俺のはじめてを奪ってもらおう。

そして、学業もそこそこに、アカデミー中の資料を漁って数日。
彼はついに召喚術式を完成させ、逸る気持ちを抑えつつも、儀式に臨んだ。

挙句の果てが、召喚の失敗……としか思えない、件の惨状である。

「ははは……結局ダメだったか。 それともあいつみたいに、森の奥にでも行ってみるか?」

魔物に襲われるより先に、野生の猛獣に襲われる可能性や、遭難する危険性も高いのだが。
壊れたように掠れた笑い声を垂れ流しながら、ピヴォワンは羊皮紙を拾い上げ、
丸めて捨てようとした。
と、その時、

「あ〜っ、狭いーっ!」

甲高い子供のような声が響いたかと思うと、
ピヴォワンの視界一杯に紫色の物体が飛び込んで来た。
そのまま激痛とともに視界が一瞬ぼやけ、やがてブラックアウトする。

あー、顔面に何かがぶつかりやがったな。

鼻柱とこめかみを締め付ける眼鏡の感触が無くなり、
代わりに鼻腔の奥から熱く鉄臭いものが溢れて来る不快感に溺れながら、
ピヴォワンは意識を手放した。


「いたたた……こぶになってないよね?ま〜いいや。
 お〜い、起きてよぉ、召喚者く〜ん?」

ぺちぺちと、間の抜けた音とともに、軽い痛みが頬に走る。
人肌よりやや温度の高い、やわらかい感触だった。
短い失神から覚醒したピヴォワンが目を開く前に、舌足らずな声が飛び込んで来た。

「む〜……めんどくさいからこのまま帰っちゃおうかなぁ?
 でも疲れちゃったし、この子からテキトーにし」
「……誰だよ。あと何だよ」 それとテキトーに……何をするつもりだった?
「あ、起きた起きた」

鼻血を手の甲で拭いながら、ピヴォワンは上体を起こした。
次に飛んでしまったはずの眼鏡を手探りで探すが、それらしい感触は無い。

「はい、メガネ」

と、先程の高くて甘ったるい声がした。

ぼやけきった視界には、何やら小さな紫色と白の影が、こちらの方を向いて立っていた。
とりあえず右手を伸ばしてみると、頬を叩いていたあたたかい感触が手に添えられて、
手のひらに馴染み深い眼鏡の感触が乗っていた。

「あ、ありがとう……」

小声で礼を言いながら、眼鏡を掛け直す。
紫と
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