「遅い……」
長身痩躯でロングヘアの女性が、苛立たしげに眉をひそめながらつぶやいた。
地味で露出の低い装いだが、
その硬質ながらも整った容貌は十分に印象的だった。
だが、より人目を引いていたのは、頭頂に生えた一対の尖った耳と、やや巻き癖のついた尻尾に、桜色の肉球を具えた三本指の手足だろうか。
それらはいずれも黒い体毛で覆われており、
赤い瞳もあいまって、彼女が人ならざるものだと容易に周囲に知らしめていた。
彼女の名はノワール、アヌビスと呼ばれる魔物の一種である。
黒髪と褐色の肌を持つ、砂漠地帯に生息するウルフ種の獣人だ。
本来ならば遺跡の奥深くで、ファラオなる魔物の守護者を担うとされているのだが、
今彼女がいるのは、とある親魔物派領に属する地方都市、
小規模なアカデミーの正門前である。
こじんまりとした石造りの門の傍らで、行きかう人々の好奇の視線に晒されながら、
彼女は待ちぼうけを食っていた。
先日、旧魔王時代の遺跡を調査する目的で旅に出た考古学者の父と、
その弟子たる夫が一ヶ月ぶりに帰ってくるとの連絡を受け、
「じゃあひと月ぶりに、ノワちゃんには旦那様やお父さんと、
の〜んびり過ごしてもらいましょーか♪」
などとのたまう職場の上司に、本日の業務を半日で切り上げさせられて、
勤務先である図書館からおっぽり出されたのが原因である。
――フレンドリーなのはありがたいが、こうも気安く早退させてもらっていいのだろうか?
湧いた疑問を、今更戻るわけにもいかんがな、と心中で打ち消す。それにしても、
「お互いにせっかく半日であがらせてもらえたというのに、父さんもミエルも、
どこをほっつき歩いているのやら……」
約束した時間から、既に三十分ほどが過ぎていた。
腕を組み直しつつ、ぎりぎりと歯噛み。
ヒトのそれに倍する、大振りな犬歯が薄い唇の狭間から覗く。
と、彼女の耳がぴくりと動いた。
やっと来たか、というぼやきを噛み殺しつつ、口元を再び真一文字に閉ざす。
そして、まるで野性に帰ったホルスタウロスが、恋人めがけて突進するような駆け足とともに、
「ねえさぁぁあぁぁぁんっ、たっだいまぁぁぁぁあああああああああっ!」
「おかえり!遅いぞ!人前で抱きつこうとするな!!」
絶叫が重なった後、堅いが弾力のあるもの同士がぶつかるような音がして。
アカデミー正門から飛び出してきた、小ぶりな丸眼鏡をかけた金髪の青年が、
満面の笑みを浮かべたまま、ノワールの足元にくずおれた。
もとい彼女に飛び掛かって、左の犬パンチに撃墜されていた。あ、通行人が苦笑いしてる。
「ああ、にくきゅー掌底ご馳走様ですハァハァ……」
イっちゃいそうだよ、色んな意味で。首が変な風に曲がってるし。
「お粗末さまでした……通行人の邪魔だから早く立て、ほら」
息を荒げるな、そんな息づかいは私と二人きりの時だけにしておけ。犯して犯してまた犯すぞ?
アイコンタクトの後、左手を差し出し、手を握り合ったのを確認して引っ張り起こす。
ついでに青年の首も定位置に戻す。実に痛そうな音がした。
一瞬表情を歪めるも、すぐにニコニコ顔を復旧させてこちらを見つめてくる青年に、
ノワールはやや心配そうな表情を返しながら質問した。
「軽いな……肉は食べてるか?出張先で」
「うん。もともと肉が付かないんだ。 ……それはいいとして、
十三の時から、背丈がちっとも伸びてくれなかったんだよね……」
「……キミの身長、私のと交換してくれ。何故私はこんなに背が高いんだ」
「教授の血だよね、お義母さんは人並みだし。僕もねえさん並みの身長が欲しかったよ」
ため息をつきあう。青年の背丈は約百七十センチ弱、
正面に立つアヌビスのそれより、頭半分は下だった。
撥ね癖のついた金髪頭をあちこちに傾け、首の具合を確かめるようなそぶりを見せる青年に、ノワールが再び尋ねた。
「そういえば、父さんは?」
「もうじき来ると思うけど、足音は聞こえない?」
「それらしきものが近づいて来ているのは聞こえるが、
だいぶ遠いな……しかしやたら散発的…って、うわ……」
アカデミーの方向へ顔を向けたノワールの口元が引きつる。
青年が訝しげに尋ねた。
「どうしたの、ねえさん?」
「あー、上見ろ、上」
げんなりとしたノワールが指し示した、空の一点に目を向けた青年は、
彼女と同じ表情を浮かべ、ぼやいた。
「何やってんですか、お義父さん……」
旧魔王時代のミノタウロスか、はたまた音に聞くジパング産のオーガの亜種か。
大型の亜人にしか見えない白髪の巨漢が、アカデミー構内に点在する建物の壁やベランダ、
はたまた街路樹の枝を足がかりに跳躍を繰り返ししつつ、正門に向かって近づいてきていた。
「ノぉぉぉワぁよおぉおおおぉおぅ、ぅいぃま帰っ
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