「晩御飯はいい時間になったらお持ちしますので、ごゆっくり」
「ええ、ありがとうございます」
そう言って仲居さんが襖の向こうへ消えると、部屋には俺と妻の2人が残される。その妻はと言えば、部屋の奥にある掃出し窓の前に立ち、そこからの景色に目を輝かせていた。紅色の瞳に傾き始めた太陽と色づいた山肌が映り込み、赤系のグラデーションが燃える炎のように揺らいでいる。
「いい景色ねー。周り一面紅葉づくし」
ほうとため息をつく彼女の両腕は二の腕から毛に覆われ、肘から先は鳥のような翼になっている。足もヒザから下は逆関節の鳥脚で、腰のあたりからは凸型の尾羽が伸びている。彼女の全身を覆うそれらの毛や羽は、髪まで含めてやや紫がかった黒で統一されていた。
ブラックハーピー、それが妻の種族。普通のハーピーよりも賢く凶暴で、男を連れ去って夫とし、生涯解放されることはない。その一方で、仲間や家族を何より大切にするという――まぁ、種族の一般的特徴としてはそんな感じらしい。
俺たちの場合、会社の宴会で酔っ払ったところを同期で同僚だったコイツの家に「持ち帰られた」ことがきっかけで現在に至る。起きたら知らない部屋とベッドで、隣に裸の同僚(女)が寝てることに気づいたときには目も二日酔いも一瞬で覚めた。女の側が魔物ってこともあって後の展開はお察し、週明けに出社したら職場の全員から「おめでとう」言われました。
そんな感じで唐突にスタートした夫婦生活だけど、彼女も甲斐甲斐しく尽くしてくれるし、家事も並以上にこなすし、美人だし、床上手だしで、俺としてもケチのつけどころはない。……ある1点を除いては。実は今回の旅行も、その1点があるからこそ提案したようなものだったりする。
「さて、どうするよ? けっこうかかったし、もう出かけるには微妙な時間だけど」
「んー……そうねぇ、こう着いてすぐだと荷解きする気にもなれないしね」
「だよなー」
座布団に腰を下ろし、仲居さんが置いて行ったお茶を飲む。妻も卓の向かいに座ればいいのに、すぐ隣に座ってしなだれかかって来るあたりはさすが魔物というところか。時計の針は4時を回ったところでまだ夕飯まで時間があるし、出かけるのは明日にして部屋でゆっくりするのもアリだと思う。畳の部屋なんてずいぶん久しぶりだし。
しかし、だ。
「じゃあ、温泉でも行くか?」
そう、この旅館は部屋からの景観もウリの1つだが、それと並んで評判なのが温泉。かなり唐突に湧いたもんでどこぞの精霊使いがやらかしたんじゃないかって噂もあるけど、とりあえず天然は天然らしい。どうせ同じゆっくりするなら、普段と同じようにゴロゴロするよりも温泉に入りたい。
「え、あ、あぁー。おんせんね、いいんぢゃない?」
「見事な棒読みだな、オイ」
ところがどっこい、妻の反応は芳しくない。いや、旦那の俺にはそんなことわかってたけども。これこそが、俺が夫婦性活もとい生活を送る上で気になる『ある1点』。この黒鳥人さんはお風呂とかプールとか海とか、水に浸かることが大嫌いなのだ。知り合いの魔物娘に話を聞いてみても、ヴァンパイアが真水に弱いみたいな特別な理由があるわけではないらしい。そもそもお義母さんが『このコは小さいときからお風呂が嫌いでねー』と言っているので、完全にコイツ個人の問題なのは確定。
別に、臭うとかそういうことはない。魔物の魔力という不思議パワーのせいなのか、いつもササッとシャワーを浴びるだけ(本当にサッとだけ。ラーメンのゆで具合でいう『湯通し』みたいな)でシャンプーリンスどころか石鹸すら使わないのにいい匂いがするし、肌も髪もツヤツヤ。でも、俺は2人一緒に風呂に入って洗いっこしてそのままイチャイチャみたいなプレイができないのをちょっと残念に思っていたのだ。
「ここ、混浴だから一緒に入れるんだけどなー」
「えッ!?」
俺がそうつぶやくと、俺に摺り寄せるようにしなだれかかる妻は身体がビクッとさせて驚いた。ここの旅館を選んだのは俺だし、混浴だと教えてなかったのも当然ワザとだ。まあ、魔物に配慮してか混浴OKにしてる旅館やホテルはチラホラあるけど、実はこの旅館はそんなレベルを超えていたりする。
「しかもいくつも浴場があって、お金払えばそのうちひとつを貸切にできたりするんだけどなー」
「え」
経営者が刑部狸なこともあって温泉ソープ旅館と呼んでも違和感のないこの旅館、大きさに応じた料金を払えば浴場を貸し切れるシステムがある。今はまだTVや雑誌で取り上げられるほど話題にはなってないけど、遠からず魔物の嫁や恋人を持つ人々で賑わい、温泉イチャエロスポットとして名高い場所になる……ってサイトの代表者あいさつに書いてあった。
妻も俺が何を言ってるのか分かったらしく、頬が少しずつ赤くなっ
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