思い出

さっきまで晴れていたのに、突然の曇り空。こんな時に限って傘の持ち合わせはなかった。
「戻ってきて、すぐこれだよ」

「君は優秀な男だ」
「ありがとうございます」
眼鏡をかけた女性にそう言って頭を下げる。
僕がそのまま頭を下げていると、彼女は一呼吸して言った。
「…優秀だが、私には君のやりたいことが見えてこない。今のままでは君はただ漫然と日々を過ごすだけになるだろう」
「君は故郷に帰っていないそうだね。暫く休日を取って自分が一番何をしたいのかよく考えてみると言い」
僕は白澤の教授にそう言われて故郷へ帰ってきたのだ。帰る途中、言われたから訪れる気もない故郷へ帰っているのに気づき、自分の主体性の無さに呆れたのだった。
 町は様変わりしており、ため息を吐きながら、慣れない足取りで僕は小さなカフェに入った。エプロンを着けた店員が進めてきたのは、チョコレートケーキ。慣れた口つきでケーキの素晴らしさを述べる店員に僕は手を振ってコーヒーだけを頼んだ。

 チョコレートケーキは僕にとって、ごちそう「だった」。
 僕の背丈が壁の傷に届かないくらい小さかったあの頃は一年に一度しか食べられないものだった。勘違いしないで欲しいんだけど、別に貧しい子供時代を過ごしていたとかそいうわけじゃない。別に裕福と言うわけではないし、愉快な思い出ばかりではないけど、ちゃんと楽しい思い出だってあった。
 話を戻すとその店のチョコレートケーキは休日の日限定の人気の商品で、子供の小遣いにでは手の届かないものだった。親は成績が上がれば食べる機会が増えると発破をかけ、一緒に遊んでいた悪友たちは学校の帰りに窓からのぞいては、ため息をついて店内で食べる客をみて羨ましがったものだった。
 そのチョコレートケーキにはもう一つ、特別な意味があった。サキュバスのアリシアさんだ。そのお店の娘さんで、その頃にはパティシエになっていた。休日の日には、そのケーキの宣伝も兼ねてお店の売り子をして街の男たちの目をさらったものだった。僕も友人たちも理由もないのに売り子の彼女を見に行ったのだった。青い髪の毛を揺らしてたまにこちらの方を向くと、にっこりと笑って客でもない僕らに手を振ってくれたのだった。



「もう……また布団をかけないで。風邪をひくわよ」
 さらに僕にとって彼女が特別だったのはお隣さんで所謂幼馴染だということ。いつも可愛がってくれて、親が忙しい時は彼女の家で過ごしたものだった。僕が昼寝をして目を覚ますと、彼女が添い寝をしてくれていたのだ。僕が一人で寝ていても、いつの間にか彼女が隣にいて、風邪をひいたことは一度もないのは彼女のおかげだ。親友にも話したことはないけど、僕の自慢だった。
今ならはっきりわかる。僕は、彼女に恋していたんだと思う。
 一度、僕は彼女に告白をした。今思い出してもませた気持ちの悪いガキだったと思う。彼女は、寂しく笑って、「これから忙しくなるから大人になっても好きだったらね」と答えた。僕ははっきりと答えてくれず不満顔のまま彼女の家を出て行った。
 学校の帰り、その日は曇り空だった。どうしても僕ははっきりとした返事を聞きたくて、お店へ向かった。お店の裏側で彼女が知らない大人の男と何やら難しい話をしている。

何かが、崩れる音がした。

 その日以来彼女は忙しく会えない日が続き、遊びもせずに本ばかり読んでいた。子供が喜ぶお菓子にも目をくれず、頭丁稚になった僕は、学校を出た後親が勧めるまま都へ職を探しに行き今日まで戻ってこなかった。
 これ以上ここにいると思い出で頭がいっぱいになりそうだ。僕は頭を振りながら、カフェを出て雨の中をさまよっていた。強いわけではないが、雨粒が確実に体温を奪って行く。息を吐きながら、頭をかいているとふと傘が差し出された。
「あの」
「え?」
「風邪、引くよ?」
声の方へ顔を向ける。差し出す手の先、彼女の顔は。
あの日から何も変わらない彼女の顔が、驚きと共に見開かれる。彼女はにっこりと笑って、言った。
「お帰り」
そう言って僕を抱きしめたのだった。

「それで私もいっぱしの店主ってわけね」
あの日から、ケーキの評判を聞きつけてきた富豪が彼女は本格的に修行をしてお店を持つことを薦められていたらしい。今では彼女の作るチョコレートケーキは町の名物だそうだ。最近ではなんでも魔界でも有名なトリコロミールでも注文が来るとか。
何時までも子供の頃のことを引きずっていた僕とは違い、彼女は自分の道へ前へ進んでいたのだ。
「とりあえず、私の家で暖をとったほうがいいわ」
「そんな、悪いよ」
「遠慮しなくていいわよ。それとも、彼女でもいるの?」
「そんなわけないだろ。そっちだって……」

 僕の反応を楽しむかのように彼女は笑った。いたずらっぽく、また
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