蕎麦

 師走。
 今年十二回目にして最後の晦日が終わりつつある中、ここ『そばむぎ』屋の店主は、相も変わらぬ様子で蕎麦をこねていた。
「ひまですねー、ご主人。どうせ夕飯時は混むんだから、前倒しで来てくれても良いのに」
「それじゃ年越しじゃなくて、ただの蕎麦になるだろうが。こういうのは、時と場合が大事なんだ」
 生地を麺棒で伸ばしながらの主人の言葉に、給仕のハナがですよねぇと溜め息を吐く。と、それに応えるように、引き戸にぶら下げている鈴が、扉が開いたことを告げた。
「ちわー。大将、店空いてる?」
「一応な。おい、ハナ、お客さんだ。案内してやれ」
「はーい。どうぞ、こちらへ」
 暖簾を潜って入ってきたのは、刑部狸と稲荷の二人組。この町でそれぞれ問屋と神主を務めており、ハナも二人の顔に見覚えはあった。
「あー、寒かった。この頃めっきり冷えましたねえ」
「本当そうですよね、あざみさん。私冷えの気があるから、夜は手足が冷たくなって眠れないんですよ」
 暇も手伝い、手を擦り合わせる稲荷の世間話にハナは笑いながら答える。すると、稲荷の向かいに座る刑部狸がへへと意地悪そうに笑った。
「そういう時は、男に抱かれるのが一番さ。血の巡りが良くなって、精が全身に回ったみたいに熱くなるんだよ」
「そう出来れば良いんですけどね。ほら、私ったら田舎の出だから、男の人には縁が無くて」
「おやあ? その割には、呉服屋の跡取りと良い仲とか聞いたけどねえ?」
「それは、そ、その……」
「まあまあ。そう意地悪しないの、蘭……それはそうと、キツネ蕎麦とタヌキ蕎麦を一つずつお願い出来ます?」
「は、はい!」
 助け舟を出してくれた稲荷に元気良く返事をし、ハナは小走りに主人の元に戻って注文を伝える。そして、少し熱めの茶を二つの湯飲みに注ぎ、お新香と一緒に盆に乗せて二人のいる席へと引き返した。
「はい、どうぞ。お蕎麦が出来上がるまで、もう少しかかります」
「あんがと。それでさ、この間言ってた客が、そいつだったんだよ」
「まあ、そんなことが。蘭も蘭で大変ねえ」
「あざみに比べればまだ楽だよ。こっちは決まりきった文句いくつか並べれば良いけど、そっちはジジババの世間話でそうもいかないだろ?」
 話を再開した二人を見て、ハナはしばらく出番は無いと店の奥に引き返した。柱に寄り掛かり、遠巻きに稲荷と刑部狸の話す光景を見る――と、不意にハナはくすりと笑った。
「どうした、ハナ? 急に噴き出して」
「いえ。あの二人が頼んだのが前々から想像してた通りだなって思っちゃって」
「お客さんの前でそんなこと、口が裂けても言うんじゃねえぞ……ほい、キツネとタヌキお待ち」
 寒さで湯気が濃く立ち上る丼を二杯、主人がハナに差し出す。それぞれ油揚げと揚げ玉が乗ったそれらを受け取って盆に載せると、ハナは二人の元に向かった。
「はい、お待たせいたしましたー。キツネとタヌキですね」
「お、来た来た」
 嬉しそうに盆の丼を見上げる刑部狸に微笑みを返し、ハナはタヌキ蕎麦を彼女の前に置く。続けてキツネを稲荷の前に置いて、立ち去る前のお辞儀をしようとしたところ、二人が何か言いづらそうに丼を見下ろしていることに気づいた。
「あの……どうか、なさいました?」
「ああ、いや。別にお嬢ちゃんが悪いわけじゃないんだ。ただ……」
「やっぱり私達って、こんないめぇじで見られてるんだなって」
 そう言って、稲荷と刑部狸は互いの丼を入れ換えた。それを見たハナは、慌てて頭を深く下げる。
「も、申し訳ありません! お客さんの注文を良く確認しないで……!」
「いえ、良いんですよ。事前に言っておかなかった私達も悪いですし」
「先入観って厄介だよなー。少しでも『こうだ』って思ったらそれっきりだし」
 刑部狸がそう言うと、稲荷は深く頷いた。
「そうそう。うちの神社に来る人の相談事も、思い込みが原因なのが多いんですよねえ」
「へえ。例えば?」
「あまり詳しくは言えないんですけど……運命の人だと思われて付き纏われたり、逆に好意はあるのに向こうから退いちゃったりっていうのが殆ど」
「ほー。そういえば、呉服屋の旦那もそんなこと愚痴ってたな。一人息子が見合い話をことごとく断るって」
 その言葉に、ハナの顔が弾かれたように上がる。それを知ってか知らずか、稲荷は刑部狸に返事をした。
「あらあら。それは間違いなく、好きな人がいるわね」
「だろ? でもあそこの息子引っ込み思案らしくて、なんで見合い断るのかなかなか言わないそうなんだよ」
「それは難しいわねえ。その好きな人が傍にいてくれるなら、少しは勇気が出るんでしょうけど」
 稲荷の言葉を皮切りに、二人はどんな告白が奥手に向いているのか、食べながら議論を始める。とりあえず注文を取り違えた件は終わったのだとハナは安心し、店の奥に
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