第2話 使い魔の触手がテンタクルになったので服を買いに行く

 触手からテンタクルへ。
 魔物娘になる以前から家族同然に扱ってきたつもりだったけれど、こうして明確に意思疏通が取れるようになると「使い魔」という呼称が急にそぐわなくなってしまう気がするのは少しばかり考えすぎだろうか。試しに訊いてみたら、当事者であるはずのクロはヘラッと緩みきった笑顔を浮かべて「シーラと一緒ならなんでもいいー」と答えてくれた。
 自分のことなのに随分と適当だと若干頭痛を覚えなくもないけれど、当人にとってみれば呼び方なんてものはなんだって良いのかもしれない。肝心なのはいつだって関係の在り方で、その関係が健全ならば呼称がなんであれ大差はない。
 世の中には対外的には主人と奴隷という関係であるにも関わらず、なぜか奴隷の方が主人のことを手のひらの上でいいように転がしている不思議な関係というのもある。それでも、二人が夫婦同然に互いを大切にしているのであれば、それはやっぱり健全な関係であって余人がとやかく言うものでもないのだろう。
 関係の呼称はともかく、当面は普段通り名前で呼べば良いか。そのうち良い名前が思い付くだろう。
「でもねー でもねー わたしねー シーラのこと、おねーちゃんって呼びたーい」
「お姉ちゃ・・・・・・」
 あまりの唐突なシーラの申し出に、私は頭を石で殴り付けられたような衝撃を覚えて思わず言葉を失ってしまう。
「ねぇー シーラ、だめー?」
 コテンと首を傾げて訊ねてくる。
 そんなに可愛らしく言われたら誰が断れるだろうか。無邪気で他愛のないお願いを断るのは、それこそ血も涙もない無慈悲な輩だけだ。断じて妹に慕われるような寛容で包容力のあるような姉がやるようなことではない。
「ダメじゃない。クロの好きなように呼んで良いよ。ううん、呼んで。クロ、私のことお姉ちゃんって呼んでみて」
「シーラ・・・・・・?」
「お姉ちゃん」
 思わず華奢で細い肩に両手を置くと何かに気圧される表情で僅かに身を引いた気がする。
 恐らくは私の思い違いだろう。クロは人懐っこくてスキンシップが大好きだけど、触手だった時から積極的に触れられることにはあまり慣れていない節がある。突然、私の方から触れたせいで少し驚かせてしまったようだ。
 間違っても私の目力に驚いて引いている訳ではないし、私が「お姉ちゃん」と呼ばれることを期待して興奮して鼻息荒くしていることに戸惑っている訳でもない。
「シーラ、おねーちゃん・・・・・・?」
 私よりも頭ひとつ小さいので少しだけ上目使いになり、慣れない呼称に頬を僅かに染めさせている。そんな少女が躊躇うような表情を浮かべ、鈴の寝のような細い声で口にする。
 不覚にもキュンと来てしまった。
 お姉ちゃん・・・・・・ うん、悪くない響きである。
 我が子のようだとは思っていたけれど、彼女だって一個の立派な人格を持った存在だし、どちらかといえば私とクロは年齢的にはほとんど変わらない。それなら、親子という関係よりも姉妹の方が感覚的には近いはずだ。間違いない。
 今後は姉妹ということにしましょう。もちろん、私が姉でクロが妹だ。
 この年になって念願の妹ができた。やっほい。
「シーラおねーちゃん、なんかわらいかた、へん・・・・・・」
「え、あ? そう? 私はいつも通りだよ?」
 彼女は不審そうな視線を送ってくるので、少しばかり浮かれて落ち着きをなくしていたかもしれない。お姉ちゃん足るもの妹の見本にならなくては。
 私の心中を気取られないように小さく咳払いをして仕切り直す。
「それじゃあ、クロ。今日は服を買いにいきましょうか」
「えー だいじょうぶだよー? おねーちゃんのふくー きれるからー」
「そうは言っても、いつまでも私のお下がり着る訳にはいかないでしょう?」
「えー? そうかなぁー・・・・・・? おねーちゃんのふくがいーなぁー」
 やんわりと諭すと腕を振りヒラヒラと袖を踊らせながら抗議した。
 慕ってくれるのは嬉しいが、そういう訳にもいかないのだ。私だって手持ちの服が決して多い訳ではないし、クロの触手が引っ掛からずに着れるような余裕のある服となると一枚か二枚である。
 無理に人間の服を着ると触手の粘膜が擦れて炎症の原因になったりする。いまだって仕方なくシーツを服代わりに羽織らせているのだ。
 クロは、むぅ、と唇を尖らせて不満そうな表情を浮かべるが、こればっかりは納得してもらう他ない。
「ね?」
「わかったー・・・・・・」
 根気強く説得すると納得してくれた。もっとも頭では分かっていても感情までは簡単に割りきれるものではないらしく、本当に不承不承という感じで名残惜しそうに服の裾を触手で摘まんだりしている。
 触手だったころから優れた学習能力があるとは言っても、まだまだ上手に気持ちを切り替えられるほど成熟してはいないのだ。

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