向こうの方から足音がした。各所に仕掛けた自分の分体を使って目標を確認する。ちょっと背の高い優男。間違いない、彼だ。
分体を回収しようかと思ったが、止めた。襲うつもりがないし、回収している間に相手のことを見失ってしまってもつまらない。むしろ、下手に回収して相手に悟られてしまう可能性がある。
「こんにちは」
「や、こんにちは。 暫く見なかったけど元気だったかい?」
姿が見えたので挨拶をすると、彼は楽しげに笑いながら何の前触れもなく私のことを器用に抱き上げた。
一応言っておくと、私は魔物で彼は単なる人間だ。それも兵役などに就いたこともなければ、練習で模擬刀を持たせれば器用に自分の頭に一本入れるほどに武芸が達者だ。リザードマンがさじを投げ、アマゾネスが微笑ましい瞳で見るという天才的な才能である。
「あのねぇ……」
「うん? 元気じゃないの?」
呆れながら呟くと、彼はコテンと首を傾げた。
言いたいことはたくさんある。「魔物相手に無防備過ぎる」とか「私は魔物なんだから少しは怖がれ」とか、そんなこと。ここの辺りの魔物は無思慮に人に襲い掛かるようなことはしないが、それでも外部から魔物がやってくる可能性というのは十分ある、。既に大分馴れ合ってしまっていて互いに見知った顔であるので、流石に「怖がれ」というのも無茶な話かもしれないが、もう少し魔物相手に用心した方が良い気がする。少なくとも、見知った相手だからと言って不用意に抱き上げるのは問題だろう。
………だが
「どうしたの?」
「………」
この顔である。
胸ほどまでしかない私を器用に抱き上げたまま心底不思議そうな顔をしている。まるで、どうしてこちらがこんなに不機嫌なのが分からないとでも言うように。
呆れて物も言えない。
「なんだよ…… 何か言いたいことでもあったんじゃないの?」
「うるさいなぁ……」
言うなら早く言ってよ、とでも言うように私のことを胸に抱きいれながら空いた腕で私の額をぐりぐりと押してくる。
いっそ、このまま指を取り込んで手首まで消化してやろうかと思ったが、あいにく私の体液にはそんなに強力な消化能力は備わっていない。精々、彼の手のひらの角質と老廃物が落ちて綺麗になる程度だろう。仕方ないので体の粘度を落として彼の腕の中から撤退する。
彼はなんとく残念そうな顔を浮かべた。
「まったく、どうして貴方は私と出会うたびに私のことを持ち上げようとするのかしら?」
「ほら、君。 レッドスライムでしょ? 冷たくて気持ち良いし」
地面の上で人型を再構成しながら訊ねると、彼は満面の笑みで応えた。そんな下らない理由で毎回抱かれる私の気にもなって欲しい。
「それに、君が成長しているのも分かるし」
「褒めているつもりでしょうけど、人によっては傷つくからね?」
この調子では気がつけば知らない相手から反感なりなんなりを買って、その内後ろから刺されるのではないかと思う。どうして魔物の私がこんな人間なんかの心配をしなければならないのだろう。当の本人にそんな意識があるかと言えば、そんな様子も無い。相変わらずのんびりとした人の良さそうな笑顔を浮かべている。
「全く……いつになったら直るのかしら」
「ごめん……」
「次は許さないからね? 罰として襲うよ?」
「うー…ん、分かった。 なんとか襲われないように頑張る」
恐らく、何に謝っているのかさえ自分でよく分かっていないだろう。そんなのだから鈍感だといわれるのだ。
やれやれ、頭が痛い。
「じゃ、今日も仕事でしょ?」
「隣町に授業をしにね」
軽く鞄を掲げて見せる。
恐らくは授業をするための道具が入っているのだろう。彼の授業は分かりやすいと子供達にも人気で、魔物も人を襲わないという条件で授業を受けさせてもらっている。
「そう、行って良いわ。 気をつけてね」
ここでこれ以上引き止めるのはあまり得策ではない。そんなことをすれば、子供達や他の魔物にも怒られてしまう。
「うん。 ありがとう。 そっちこそ気をつけてね」
私は、ゆっくりと小さくなっていく彼の姿を見送った。
………
●月×日
今日は一週間ぶりに彼と会った。相変わらず元気そうだ。
今日は隣町に行って授業をしてくるそうだ。
彼の授業はいつも好評で、子供達も彼が来るのを楽しみにしているらしい。
来週は、教室にちょっともぐりこんでみようかしら?
隙間からちょっとずつ入れば多分気がつかないと思う。
早く来週にならないかな。 今から来週が楽しみだ。
「……にゃー、こんな所で日記を書いている位なら、パーッと行ってパーッと襲ってくれば良いと思わないかにゃ?」
「きゃ、な、な、何を勝手に人の部屋に入り込んでるのよ!」
「ノックはしたにゃーよ?
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