鬼が居る。
上半身は女であるが、下半身にあるのは人の足ではなく鋭い鉤爪のついた八足の蜘蛛だ。
その姿は見るからにおぞましい。
恐らくは、牛鬼。
人を騙して取り殺し、生き血を啜り、肉を喰らう化け物だ。出会ってしまったら命は無い、何を置いても逃げなくてはなるまい。だが、その鬼はこちらを見つけても恨めしそうにこちらを見るばかりで、一向に動く気配が無い。そればかりか……
ぐぅー……
盛大に腹の虫を鳴かせていた。
「……おい、人間」
「……なんだ」
今すぐには襲って来そうに無いので、恐る恐る回答してみる。
すると、牛鬼は地面に突っ伏したまま大きく口を開けた。
「お前の手を、私の口の中におけ」
「……なんで?」
「私が腹が減ったからだ」
「………」
そんなことを言われて、どこに「はい、そうですか」などと答える輩が居るだろうか。腹を空かした人食いの化け物の口の中に手を入れよう物なら、次の瞬間には食いちぎられて襲われるに決まっている。どこぞの白兎は身を呈して飢えた人を助けたが、身を呈して人食いを助けたとして何の得があるというのだ。誰だって命は惜しい、無論、考えるまでもなく答えは決まっている。
「なぜじゃ! 腹を空かしている者を助けぬなど、人として恥ずかしくないのか! この鬼! 人でなし!」
「だからってなんで腕をやらなくちゃいけないんだ!」
「なんじゃ、腕の一本ぐらい大したことあるまい! ケチケチするな!」
「阿呆! お前みたいに足が七本も八本もあるわけじゃないんだ!」
「なにを! この美しい足を人間如きの腕と一緒にするない!」
理不尽にも程がある。
自分でも模範的な人間ではないことは重々承知であったが、まさか牛鬼に鬼と罵られる時が来るとは思わなかった。そもそも、人食い鬼である牛鬼とこんな事で口喧嘩しているという自分になんだか頭痛がする。
ふーっ、と威嚇するようにこちらを睨みつけて今にも飛び掛って来そうであったが、腹が減って体に力が入らないようで相変わらず地面に突っ伏したままである。牛鬼はこちらを見上げるばっかりで、その場からピクリとも動こうとしない。
「………いかん、叫んだら余計に腹が減った」
「馬鹿か、お前は」
「馬鹿ではない。 牛鬼だ」
腹の虫を鳴かせながら、弱弱しく抗議する。やっぱり馬鹿だ。
とはいえ、ぐぅ、と腹を鳴らす牛鬼を見るとどこか哀れみを覚えなくも無い。人食いの化け物とはいえ、よくよく見ればまだ年端も行かぬ子供である。相手が物の怪の類であるので人の外見など当てにはならないが、幼子であることには変わるまい。
「後生だ、ヌシの腕を一本くれ」
「どうしてそうなる」
しかし、こちらが僅かにでも哀れみを掛けようとするとこうなる。
「分かった、手首から先で我慢しよう。 それで手打ちだ」
「そういう問題じゃない」
牛鬼は眉間に皺を寄せて考えていた辺り割と本気だろう。
「指か? 指で満足しろと!? この鬼畜め!」
「そうじゃない、と言っているだろう阿呆!」
「阿呆じゃない! 牛鬼だと言っているだろう、この阿呆!」
………やれ
人食いと言って恐ろしいと思い込んでいた自分が阿呆らしくなってきた。
こんなものの一族に食われた人間が居ると思うと若干悲しさがこみ上げてくる。
「おい、牛鬼」
「なんじゃ、人間」
本当にきまぐれ。こんな牛鬼が増えれば人の被害も減るのではないかという僅かな希望も含めて。一握の哀れみを掛けてやることにする。
「人を襲わないと約束できるなら、腕はやれんが食い物はやれる」
「……ふむ、おぬしの足か? あまり足は美味そうではないが、この際我慢してやろう」
「……いい加減、人の肉から離れろ」
「しかし、人の肉が美味いと聞いておる。 一度くらい食うてみたい」
腹が減ったのにも関わらず美味しい物を食べたいというのは、なかなか見上げた根性である。牛鬼の言葉を無視して背嚢を漁る。目的の物は程なくして見つかった。背嚢の中から笹の葉に包んであった昼食を解いて目の前に差し出してやる。
「なんじゃ、これは? 白くて薄気味悪いのう……」
「握り飯だ。 つべこべ言わず食ってみろ」
「ふむ……では、頂くとしよう」
握り飯の一つを掴むと、ぱくり、と大きな口を開けてかぶりついた。
一瞬だけ驚いたように目を丸くして硬直した後、何かに取り付かれた様に一心不乱にかぶりつく。あっと言う間に一つを平らげると、そのまま残る握り飯に手を伸ばす。それは見ていて気持ちの良くなるような食いっぷりだった。空になった笹の葉を名残惜しそうに見つめつつ、指についた米粒をいやしく舐めるようになるまでそれほど時間は掛からなかった。
「美味かったか?」
笑いを堪えながら訊ねると、牛鬼は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。
「……う、美味くは無か
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