森
古神道において森は常世と現世の末端とされ、山そのものを神体として祀り、そこにある自然物の石や木、動物、そしてまだ見ぬ妖にさえ神を見出す事も少なくなかった。
もとより宗教の起源とは自然に対する恐れであり敬愛だ。生まれてくる命の奇跡と我が子を抱く愛情、命を育てる恵みへの感謝と命を奪う絶対の暴力への恐れ、そして死と言う絶対の摂理への悲しみと安堵。それらの名もなき祈りが、全ての宗教の原型であり原始の宗教だ。
ある者は特に死を恐れ、ある者は命を祝福した。宗教の派生とはそれだけの話。後は派生した感情に肉付けされ、物語が生まれ、それらに準ずる戒律が生まれた。進歩と退廃、そして変質を繰り返しながら、中でも共感の多かった物が広まっていったのだろう。
そういう意味では神道という宗教は、退屈なまでに自然崇拝の形を今に残している。有形無形問わず神を宿し、祀りたてる。つまり、あらゆる概念を神として祀る以上、対立概念は存在しない。
無論、妖と人は異なる者であり、住む世界が違う。それがこの世の者であれ、創造の産物であれ変わらない絶対の掟だ。
しかし対立概念が無いのなら、どうして人と妖が共に暮らせぬ道理があろうか?
我が家の隣家。会えば挨拶ぐらいはするだろう。もしかしたら世間話ぐらいはするかもしれない。世間話に花が咲いて日がくれれば一緒に飯でも食うだろう。だが、家とは外と内を区切るための結界だ。つまり、各々の家には独自の規則が存在する異界。けれど、この者達は共に暮らしているという点に異存はないはずだ。
家で信じられぬのなら、町で考えれば良い。町で駄目なら国で良い。国と世界は何が違う。人の手に届く範囲などせいぜい視界の及ぶ範囲だ。国でも世界でも正確に思い浮かべられやしない。やれ肌の色が違う、それ思想が違うだなんて、そんな小さい事に拘って互いの違いを指摘するのは勝手だが、あまりにも狭量ではなかろうか。
相手に良い所があると思ったら素直に賞賛して学び、悪いと思ったらそれとなく注意して自らの悪しき部分を直す。その方がお互いすっきりするだろう。どうしても受け入れられなければ、受け入れられないと認めてしまえばいい。別に受け入れられないからと言って、わざわざ相手を攻撃する必要はないし、こちらの意見を押し付ける必要もありはしないのだ。
「ここでなにをしている? ここは神域だぞ?」
「あ、すみません。 すぐに出ます」
山菜を摘んでいると羽音を立ててカラス天狗が目の前に舞い降りた。どうやら考え事をしながら山菜取りをしている内に、大分道からそれてしまったらしい。
「水門 優か。 ふむ。 ここ連日山菜を取っているな。 山菜取りをしている内に迷い込んだという所か」
顔からつま先までじろじろと見比べた後、手記の様な物を取り出し、言い分と行動に矛盾点が無いのかを探しながら言った。別に嘘をついているわけでもないけれど少しだけ緊張する。初見だと随分と高圧的な態度だと感じる者も多いが、これも彼女の種族の特徴のような物でカラス天狗特有の方言に近く別に悪意はない。むしろ正義感が強く、悪を憎んで人を憎まず、弱き者には率先して手(?)を貸す事を信条として、人里の治安を守る事を誇りに思っているのでそれ位でも良いのだろう。
もっとも、幼子には恐ろしく映るようで時折泣かせてしまっているようだが。
「よからぬ事を思っているようだな………」
「いえ、とんでもない」
「嘘は良くないぞ? 神通力があるからな。 地獄に落ちて閻魔様に舌を引っこ抜かれたくはあるまい?」
こちらが何かを考えていたことに気が付いたのかピタリと動きを止めた。割と平静を装いつつも答えたつもりだが、ますます彼女の表情は嫌疑の色を強めた様だ。
ジロリと手記の向こう側から若干吊り目な瞳が覗いてくる。三白眼の気がある瞳が綺麗な三角の形をしていると恐れを通り越して、なんだか笑いが込み上げてくる。思わず笑いを堪えて目を逸らしてしまうと、カラス天狗の方は暫くこちらの横顔を見つめた後、小さく溜息をついた。
「とはいえ、私とて薄々高圧的だと思って気にしてはいるさ………しかしね、周囲がそういう者しかおらん以上、そういう習慣が身につかんし、幼少からの習慣は一朝一夕で抜けるものではない。そも、どういう風に接すれば高圧的ではないかなども皆目分からん。誰も教えられる者はいないし、教えようにも感覚を説明する言葉などないのでな」
僅かに悲しそうな色を含んだ声で呟いた。割と本気で気にしているようだ。
そういえば、少し前に町に居たカラス天狗は子供を可愛がろうとしたらしいが逆に泣かせてしまっていた。どうしようもなくなったらしく「なぜ泣くのだ! それでは大人になった時に困るだろう」などと言ってしまった物だから、泣き止むどころか盛大に大泣きさせて
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