さしたる理由もなく時を過ごす。明日があるという幻想を夢見て過ごす螺旋の様な日々に憂いはなく、また甘美である。だが、人の過ごす時には限りがあり、描く螺旋の軌道はあまりにも余分が多い。
気が付かないが故に骨の髄まで侵され、真綿で首を絞める様に緩慢に死に至らしめる。眠るような死に誰一人その恐怖を理解することはない。日常とは無毒という名の毒だ。
漫然と生きている事に気が付いたのはいつからだろう。
何も為すことはない。初めは気に留めたことさえ忘れるほどの小さなしこり。けれど、形のない漠然とした不安はゆっくりとけれど確実に大きくなっていく。年を重ね、経験を積み、知恵をつけ、その漠然とした不安であったはずの不安を理解してしまった。
何も為さないという事は、自我が「日常」という名の毒の内に消えるという事だと
何も為さないという事は、自分という存在が完全に消失する事であるという事だと
誰がその虚無感に耐えられるだろうか?
僕には耐えられなかった。耐えられる筈が無かった。だって、僕という存在が消えるということは、努力は何も実を結ばず、誰の記憶にも留まらず、居たという証さえ消失するという事だ。自分が無価値に返るという、その壮絶なまでの虚無感への恐怖に誰が耐えられるだろうか。
嫌だ。
今まで、何一つ為さなかった事を悔いた。度し難い焦燥が身の内に宿る。せめて何か一つで良い、一つで良いから残したい。自分がいた証を。ここにいたのだという証を。確かな証明を。
けれど、どうやって?
何かを為そうと走りまわり、寝る間を惜しんで仕事をし、持てる熱意を注ぎ込んだとして、いったい「日常の風景」と何が変わるのだろうか。何一つ変わらない。自分が居なくなれば、その存在証明はあっさりと消失する。社会という歯車は空隙を許さない。自分が居なくなり空いた席には次の誰かが収まり、社会は延々と回り続けるのだ。輝かしい栄光も過去の栄華の一部となって消え失せ、歴史に名を刻んだ偉人でさえ、ただの名前に成り下がる。
僕は……… 一つだけ決意した。
全て無価値に返るというのなら
価値のない僕は「僕」という存在を消す事にしよう。
取るに足らない無価値な物が無くなった世界というのは、今よりも少しだけ軽くて美しいものになっているはずだ。それは僕という無駄な物が無くなったからで、無価値な僕が消したのであれば、その時に「世界が美しくなったのは僕のお陰だ」いえるのではないだろうか。美しい世界は「世界」がある限り延々に続く。それはきっと永遠だ。無価値な僕は無価値な僕を消す事によって初めて無価値ではなくなれるのだ。
まるで夜風を楽しむための散歩に来たかのような格好で鬱蒼と茂る森の入口に立つ。昼間でも十分に日の届かない森は満月の夜には漆黒の闇を湛えている。まるで、巨大な生物がぽっかりと口を開けているかのようだ。調度いい、禍々しい光景に少しだけいびつに頬を歪め、歩を進める。
軽装で来たためか、肌を撫でる空気が冷たい。まるで生きている自分から生気を吸い取ろうとしている亡霊たちの群れの中にいるようだ。思わず笑いそうになる。自らの存在を消しに来た人間から、どうして生気が抜けようか。ここにあるのは人の形を模した、ただの人形だ。
当てなどない。ただ自らに相応しい場所を求めてさまよっている。
ざくざくと草を掻き分けて、けもの道ともいえない道なき道を歩く。静かな森はあらゆる音を虚空へと吸い込むたむ。聞こえるのは自らの足音と呼吸の音だけ。それも、すぐに闇夜に溶ける。見上げれば不気味な木々の声に紛れて闇夜の中に潜む梟の爛々とした双眸が星のようだ。
どれくらい歩いたか。時間の感覚のないまま歩んでいると、ふと、薄ぼんやりとした明かりが見えた。元より日光が届かないほどの森だ、掬い取れそうな程の暗い夜道ではライター程度の明かりでさえひどく目立つ。
近寄るか、近寄るまいか。僅かに思案し、何を迷う必要があるのかと結論付ける。これから消える身が何を躊躇う必要があるというのか。足先をユラユラと揺れる光源へと向ける。たき火の明かりかと思いきや、揺れる炎も揺らめきながらこちらへと寄ってきているようだ。一向に燃え広がる様子がない様子を見ると単純な炎という訳でもないようだ。
「こんばんは。 明かりをご所望ですか?」
明かりの持ち主は目の前までやってくると微笑んだ。
見た目は年端も行かぬ女の子だ。お世辞にも綺麗な身なりとは言えず、顔は僅かに泥で汚れ、身に着けている薄地の半纏も所々破れている。奇妙と言えば確かに身なりも奇妙だが、元より場所が場所である以上身なりに拘らない人間が居てもおかしくない。
しかし、明かりだけは持っている。いや、明かりを持っているという表現はどこかおかしい。なぜ
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