それほど大きくないこの街では住人の全員が知り合いと言っても良いし、娯楽と言えば住人達同士のありふれた世間話であるこの町では、外からの来訪者と言えばあっという間に町中に広がってしまう。
ましてや、触手は魔力の濃い場所に生息する生き物であり、更に言えば自我を持つ触手は特に珍しい。そんな触手がわざわざ町の中に訪れてきてくれたのだ、見に行かないはずがない。お陰で、喫茶店はクーネを一目見ようとやってくるお客で一杯だ。
あっちに注文を取りにいったり、こっちにカップやお皿を届けたり。繁盛時でもそれなりに忙しいのだが、今日は特に目が回るような忙しさである。もっとも、注文を受けに行く事や配膳が多少遅くなっても笑って許してくれる心の広い人ばかりなので怒られることはなく、その点は安心してお手伝いに望めるのだが、逆に言えばもっと心地良く喫茶店を利用して欲しいという思いだけが募ることとなる。
「ありがとうございました!」
会計を済ませたサキュバスとヴァンパイアにお礼を言って笑顔を向けると、二人は笑い返してくれた。サキュバスは顔全体で笑うのに対して、ヴァンパイアは僅かに目元と口元を歪めて笑みを作る。二人とも全く逆の笑みなのだけれど、どちらも「もっと頑張ろう」とか「もっと気持ちよく使ってもらおう」という気持ちにさせてくれる。
「そうだ。 頑張る子には御褒美をやらないとな」
「え?」
そっとヴァンパイアの白魚のような手が私の手を取ると、そっと数枚の銅貨を握らせた。二人は会計を済ませているし、余剰分は受け取れない。そう思って口を開けると、それを察したのかサキュバスが背後で「受け取るのが礼儀だよ」と目配せした。
「・・・ありがとう、ございます」
慌てて言い直すと、二人はちょっとだけ笑った。
何となく恥ずかしい。
「クーネと二人分だ。 手伝いが終わったら、仲良くアイスクリームでも食べるといい」
「良かったわね、リディア。 二人ともまた来てください。 お待ちしておりますよ」
「あぁ、そのつもりだ」
「もちろん」
カウンターの奥から出てきたエリシアが私の頭に手を置きながら二人に礼を言った。二人は微笑を浮かべて「また来るよ」と言って店を出て行った。感謝の気持ちを一杯に二人を見送った。
「さ、リディア。 悪いけど・・・お客さんも多いし、今日は頑張って閉店まで手伝ってくれるかしら?」
「はい!」
お客の状況にもよるが、喫茶店は大体日中から夕方の日が傾く頃まで営業している。
今日はお客も多いので、ちょっと長めだろう。元々、それほど大きくない店であるので私が抜けると、人手が足りなくなってしまうのだ。喜んで頷くと、エリシアは「よろしくね」と再び頭に手をおいた。
チラリ、とカウンターに居るクーネの方を見る。
クーネはマスターの隣で触手を曲芸の様に動かして、テキパキと手伝いをこなしていた。棚から絡め取ったカップを温めて紅茶を淹れる準備の傍ら、テーブルから下げられた食器を丁寧に洗っていく。その姿は常日頃クーネを見ている自分でさえ、よく絡まないものだと感心してしまうほどの動きだ。
マスターはクーネの手際の良さに驚き、お客は変わった店員が見せるコミカルな動きに魅入っていた。
私も負けないようにしないと。
クーネの姿を見ていたら対抗意識がフツフツと湧き上がって来た。よし、と一人小さく気合いを入れ直す。クーネが動きでお客を楽しませるなら、私は元気の良い挨拶で気持ちよく使ってもらう事にしよう。
「いらっしゃいませ! ご注文は何にいたしますか?」
丁度やってきたお客を飛び切りの笑顔で迎え入れた。
・・・
仕事が終わったのは太陽が沈み、丸くて綺麗な月が真っ黒い夜空で輝き始めて大分経ってからだった。多分、今までで一番長く営業していただろう。
「クタクタだぁ〜」
「お疲れ様、ごめんね。 こんなに長く付き合わせて」
「あはは。 楽しかったから気にしないで」
流石のエリシアもマスターもこんなに長く営業するとは思っていなかったらしく、店を閉める時は机に伸びている私とクーネを見て苦笑を浮かべていた。クーネも働いた感想は同じだったらしく、キューと小さく鳴いた後に「楽しかったから、大丈夫」と言うように触手の先端を軽く左右に振った。
「材料を全部使ってしまったから、残り物で申し訳ないけどね」
マスターはそう言いながら、パンやスープなどを持ってきてくれた。バスケットの中のパンは潰れてしまい形が悪くなったものや、切った後の端っこの部分などが入っていた。けれど、それらは少し見た目が悪いだけで食べるには問題ないし、味は保証つきの一級品だ。
「ちょっと遅いけど夕飯にしましょう」
簡単に食事の準備をすると、全員でテーブルを囲みささやかな晩餐が開か
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