雪より白い旅人と

白銀の世界。
初めて見た北極の感想は、その一言でしか表すことが出来なかった。
氷雪の地平線に、降り注ぐ眩い日光。
ストールで隠された口元から、湿気を伴った白い吐息が漏れた。

「凄いなぁ……、寒い」

バタバタと腰巻をはためかせて、ポツリと呟いた。
少しずれたストールを右手で直し、僕はザクザクと雪踏みながら歩む。
そして、遠目からこちらを凝視する白熊に気付く。
じーっと、野生動物特有の何を考えているか分からない黒い瞳。

「やっほー」

手を振ってみる。
無論、返事が返ってくるはずもない。
白熊は可愛らしくきょとんと首を傾げて、ノシノシとどこかへと歩いていく。
それを見送って、肉食動物らしからぬ人懐こさに苦笑した。

「今日はこの辺で野宿するかな……」

足元の氷の分厚さを確かめて、ブーツで適当に雪を除ける。
ドーム型のテントを手早く建て、狭い入口に身を縮めて中に入る。
薄い布きれで出来た簡易テントとは思えない、ログハウスのような内装には何度見ても驚かされる。
ご都合的なこの異常空間は、魔法によって開発された空間らしい。
詳しい原理はともかくとして、内装に暖炉まで備わっているこのテントなら北国のキャンプも容易である。

「快適なのはいいけど、旅の醍醐味も薄れるなぁ……」

狭苦しいテントの中を、ランタンでもつけてのんびりする。
昔はそんな旅を続けていた僕としては、そんな野営も恋しかったりする。
キッチンから漂う香ばしい匂いに、すっかりと忘れていたことを思い出した。
肉を燻製にしようと、貴重な胡桃の薪で燻しておいたのだ。
自作の燻製窯を開いてみると、いい具合に染まったスモークチキン。

「あー……、前の町でお酒も買い足しといたら良かったかなぁ……」

ワインに合いそうなその香りに、少し涎が垂れそうになる。
いやはや贅沢。
全てが自己責任ゆえに好き放題できるこの生活は、本当に捨てれない。
いっそ酒も自分で作れるようにしようか、そう考えて思いとどまる。
世界各地の飲食を満喫するも旅の醍醐味。
これもまた失うには口惜しい。

「そう言えば、ジパング土産のお茶があったっけ」

スモークチキンに合うかどうかはともかくとして。
少し億劫になって手を出し損ねていたアレも何とかしないといけない。

「何事もチャーレンジィー」

前に訪れた国で食べた亀も、意外と絶品であった。
注目度の高いジパングの銘茶ともなれば、味も保障されるだろう。

「あれ……、この辺に置いてたと思うんだ、け、ど……」

整理整頓を全くされていない棚を散らかして、そんな風に呟いた時だった。

「おい」

テントの入り口から、凛とした女性の声が響いた。
こんな辺鄙な土地で人の声が聞けると思っていなかった僕は、慌てて振り向いた。
垂れかかる布を暖簾のように手で押して、そこには確かに女性が立っていた。
それも、かなり異様な格好の。

「アンタ、こんな所で何してる」

詰問するような口調で、そう言う彼女。
アザラシ(?)の毛皮に身を包んだ、半裸の麗人。
この極寒の地では考えられないことに、彼女は上半身の露出が激しかった。
胸部は辛うじてアザラシの手に隠されているが、主張が激しいせいかその膨らみまでは隠せていない。

「…………」

ふわりとしたブロンドの髪に、切れ長の碧眼。
どこか強気ともとれるその面構えとは不釣り合いに、頭にかぶったアザラシの顔は何とも脱力させられるものだ。

「聞いてんのか、ニンゲン」

その一言で、何となく彼女が人間ではないことを察せた。
いや、まぁ……、あんな寒そうな格好で北極を歩く人間なんているわけがない。
それに気付いていた時点で、僕は彼女を魔物と認識していたのかもしれない。

兎にも角にもそんなことはどうでもよく、重ねて問われた僕はここで流石に応答した。

「き、聞いてるけど……」
「じゃあ答えろよ。その口は飾りじゃねーんだろ?」

どこかいいとこの貴婦人のような美しさとは対照的に、乱暴で男勝りの口調。
そのギャップにドギマギしながらも、僕は何とか彼女に応える。

「えぇと……、野宿」
「ふーん? じゃあ目的は?」

そういう彼女の目はギロリと敵意が滲んでいる。
下手な答えを返せば、攻撃も辞さないという声音だった。
しかし、別に後ろめたいこともないため、僕は正直に答えた。

「ただの旅で、特に目的も……」
「ハッ、よっぽど暇なんだな、アンタ」

嘲るようにそう言い、彼女はふいっとそっぽを向く。
その仕草から、少なくとも危ういことになることはなくなったと遅ればせて理解する。
しかし、彼女の右手に掴まれて銛の鈍い光に、少し鳥肌が立つ。
どうにも僕は、ああいった物騒なものが苦手なのは何ともならない。

「ま、変なことをしない限りオレも手出しはしねぇ」

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