「試作チョコ?」
ある魔王軍の砦の執務室で、総指揮を担当するリリムのミネアは怪訝な声をあげた。
その細い指につままれた茶色い球体のチョコレートを、彼女はまじまじと見つめる。
「うむ、そうじゃ!」
そんな彼女の机の前で、豪奢な衣装には似つかわしくない少女がない胸を張る。
小柄な体躯には不釣合いな禍々しい大鎌を背負い、さらさらと流れるようなこげ茶色の髪には山羊の角。
瑞々しい肢体を惜しげもなく晒すバフォメット――エヴァンジェルは自信満々に答えた。
「ほれ、近々ばれんたいんでぃ……とやらがあるじゃろ? それの試作品じゃ」
「それは分かるけれど……、そのチョコを何で私に?」
そう言って、唐突に渡された小粒のチョコを改めて見直す。
瓶詰めで渡されたチョコの一粒は、きめ細かく丁寧に作られていた。
配下から差し入れを持ってこられることは少なくないが、手作りのチョコをこの時期に渡されるのは初めてだ。
そんな彼女の疑問に、エヴァは呵呵と笑いながら答える。
「なに、激務に疲れておるじゃろう我が親友のためにの! 甘いものは疲労に効くと聞いたのじゃ!」
「激務って……、まぁ確かに最近は肩がこって仕方ないけれど……」
実際、エヴァの言う通り激務といえば激務だ。
近隣の反魔物領による進行を事前に食い止めるために警備隊を編成しなおし、
街道から出没するようになった盗賊たちの討伐隊を兵舎に頼み、
城下村の子供たちの教育を担当する人や魔物たちを厳選し、
果てに執務室のこの書類の山である。
眠れないほどとまでは言わないが、仮にも一軍を率いる時に覚悟した者としては足りないほどだ。
「やっぱり疲れておるのじゃ! たまには休息も取らんといざという時に動けぬぞ!」
「休み……ねぇ。そうね、とりあえずこの案件が終わったらあの娘たちでもからかいに行こうかしら」
その激務に加え、彼女の悪趣味である。
引っ付きそうで引っ付かない者々に、無責任かつ面白半分に干渉してくっつかせるという趣味だ。
自身にはそういった相手がいないくせに、彼女の毒牙にかかりカップルになったものは少なくない。
「ワシは休めと言うとるんじゃ! 遊べとは言うとらん!」
「えぇー、でも私の唯一の生甲斐なのにぃ……、何ならエヴァも適当なの見繕ってあげるわよ?」
「いらんわ! お主こそさっさと伴侶を見つけて腰を落ち着けるのじゃー!」
(そんなの簡単に見つかったら苦労しないわよ……)
ムガーッと叫ぶエヴァに肩をすくめ、ミネアは呆れたようにため息を吐いた。
だが恐らく、この軍を率いている間は憩いの相手を見つける余裕など恐らくないだろう。
軍内の兵士は大概がお手つき、もしくは唾をつけられた状態だ。
城下村の男でも多くは既に式を挙げており、彼女もそれに微笑ましく参加させてもらっている。
恋愛感情を抱く前に、大概の男は誰かの得物か恋人になっているのだ。
「まったくお主は……、まぁ良い。そういうわけでそれは餞別じゃ、無茶するでないぞ」
「えぇ、適度に休憩を挟むようにするわ。チョコ、ありがとね」
「構わぬ。この砦を率いるお主の労苦を思えばこの程度、まだまだ礼が足りんのじゃ」
そう言って腰に手を当てて、エヴァはニカッと笑う。
「じゃあの! 近々また来るのじゃ!」
「えぇ、紅茶でも淹れて待ってるわ」
ブンブンと短い手を振って退室する彼女に、ミネアもにこりと笑った。
同じ釜の飯を食らう仲間に慕われて、彼女も嬉しい限りである。
バタンと閉ざされた扉を少し名残惜しげに見つめて、ミネアは手元のチョコを改めて見直す。
「んー……、あの娘のことだから疲労回復にアルラウネの蜜でも入れてないかしら?」
くんくんと鼻をひくつかせてチョコの匂いを嗅ぐが、癖のある甘い香りはしない。
少しビターな、普通のチョコの匂いだった。
「……そもそも、エヴァってチョコ作れたのね……」
自前のサバトに引きこもって研究に没頭する親友の意外な一面に、軽い驚きを覚える。
その後もチョコを何度も入念に確認するが、どこからどう見ても普通のチョコにしか見えない。
むしろそれが不安ではあるが。
「…………ま、まぁ……、さすがに食べれないものは入ってないと思うし……」
そう覚悟を決めて、彼女はチョコを勢いよく口の中に放り込む。
少し甘く、ビターな口溶けのいい味わいが舌の上に広がり、予想外に美味だった。
「あら、意外と美味しい……」
そう呟いて、彼女は机の傍らに置いた瓶詰めから、もう一口チョコを手に取った。
◆
城外の広場で遊ぶ子どもたちの傍で、それを傍目に見守る少年がいた。
歳も子どもたちとそう離れておらず、片手で小さな魔道書をめくっている。
「なーなー、アルも混じらねーか? 鬼ごっこの人数が少ねーんだよ」
そんな彼にガキ大将風体の
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