薄墨色の写真集。

「これは……、一雨来るかなぁ……」

掌をどんよりとした鉛色の空にかざして、青年は呟いた。
手には黒い箱に大きなレンズがついたような、すこし簡素なデザインの小型機械を持っている。
最近、ある港町のサバトが開発した『カメラ』という代物らしい。
詳しい原理を彼は理解できていないが、どうやらボタン一つで風景を正確に写しとる機械らしい。
青年は、そのカメラを首から提げ、背中にはスカスカのバックパックを背負っている。

「えーと、この辺に町ってあったっけ?」

そのバックパックから無造作に地図を取り出し、青年は近くにあった切り株にそれを広げた。
少し痛んでいて、古めかしい地図だが彼は関係なくそれを読みながらしきりに頷く。

「ふんふん……、こっから北に二キロ地点に小さいけど村があるのか」

すぐそこだな、そう呟いて彼は地図を閉じる。
どうやら目的地が決まったらしい。

「綺麗なところだったらいいなぁ……」

期待に満ちた、ワクワクといった表現が正しいあどけない表情でカメラを撫でる青年。
そのカメラの角には、小さく『ルナ』と刻まれていた。

「さて、先を急ぎますか」

快活にそう言い、ルナは歩き始める。
『魔界』と化した、小さな村へ。

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「あー良かった。間に合ったかも」

昼というより夜に近い鈍い薄暗さに不安を抱いていた彼は、小さく安堵のため息を吐いた。
彼の視界の奥には、細々とだが幾つかの民家が見える。
どうやら、例の村が近づいてきたようだ。

「しっかし、天気悪くなったなー」

不思議なことに、彼がその村に近づくごとに天気が目に見えて崩れ出したのだ。
彼が空を見上げると、分厚い暗雲が陽の光を完全に遮っていた。
それだけの悪天候なのに、雨が一粒も降ってこないのが逆に不気味だ。
そんなことを思いながら一歩踏み出した、そのときだった。

「……ん?」

ルナが唸る。

「なに……、この妙な空気……?」

スンスンと鼻をヒクつかせながら周囲を警戒するルナ。
ぞわぞわと背筋を蟲が這いまわるような悪寒に、彼は汗を垂らした。

「変な匂いはない、気温も平常……でも、音がないな」

その通りだった。
当然のように虫や動物の鳴き声はなく、空気の流れる音さえなく、あまりの無音にルナは耳鳴りを感じた。
その上、肌で感じる空気の重さに彼は一番の違和感を覚えた。

「……ヤな雰囲気」

一瞬、道を戻ろうかと迷うがこの悪天候だ。
雨具はあるにはあるが、あまり好んで使いたい代物ではない。

「仕方ない、行くか」

周囲を警戒しながら、彼は慎重に歩を進める。
ありえないほどの静けさに、彼が生唾を飲み込む音が一際大きく響く。
そのままゆっくりと……、民家の見える方向に進んでいくが彼はハッと息を呑んだ。
ひっそりと立つ民家の間に、明らかに異質なモノがそこにはあった。
ぼたぼたと粘っこい液体を落とすドス黒い球体。その上に、ぺたりと人が座り込んでいた。

「魔物……いや、人か……?」

大きな瞳を細めて呟くルナ。
しかし、人というにはあまりに異様な光景だ。
動く気配もなく、こちらに気付く様子もないその物体にルナは警戒心を強く抱く。

「あいつ以外……、誰もいないのか?」

逃げるべきかもしれない。彼の本能は、アレが危険だと直感していた。
だが、同時に何故かその姿に心惹かれるモノもあった。

「……他に行くアテもないし、ね」

自分に言い訳するようにそう呟いて、彼はそろそろと村に近づいていく。
近づくと同時に、その人物が女性であり、また全裸であることが分かった。
ますます魔物、という単語が警鐘を掻き鳴らすが彼はそれでも歩くのを止めなかった。
そしてついに、黒い球体に乗った少女がこちらに気付いた。
バッとすごい勢いでこちらを振り向く彼女と視線が合ったルナは、気まずげに片手を挙げた。

「えと……、こんにちは」

間の抜けたルナの挨拶に、少女はますます彼を凝視する。
吸い込まれるような真っ黒なその瞳は、どこか虚ろげだ。

「オトコ……」

ぽつりと呟いた彼女の声は、ルナの耳には届かなかった。
とりあえず、目のやり場に困ったルナが顔を背けながら問いかける。

「あ、あの、寒くないですか?」

そう言ってごそごそとバックパックを漁り、中からずるりとポンチョを取り出す。

「とりあえず、これ着ません?」

そう言って目を背けたままポンチョを差し出すルナ。
ぼたぼたぼたぼた、と球体からタールのような液体を零しつづける音が響く。

「オトコ、だぁ……♪」

にんまりと口の端を釣り上げて言う少女。が、またもルナには聞こえなかった。
そのまま黙ってポンチョを差し出すルナに、球体から触手が複数生えた。

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