『悪魔の契約』


 「この資料には、メッセージ性が足りません…ここは悪戯に数字と実績を主張するのではなく……」
それから一週間後、日が高く上がった晴れた日の午後、厳しい目つきで沙也加が広報担当の女性と対話を繰り広げていた。
相手の女性は、沙也加の迫力にたじたじになりながらも、指摘の妥当性にこくこくと頷いている。
「……………」
それを傍目に貴紀はもどかしげな様子で手をこまねいていた。
沙也加は、貴紀が担当するプロジェクトの打ち合わせに頻繁に顔を出すようになった。
いわく、プロジェクトの重要度が増したため、優先度を上げたとのことだ。
貴紀は沙也加の現場時代の実力を眼前でまざまざと思い知ることとなった。
沙也加は、目上だろうが取引先だろうがなんだろうが、あっという間に場の力関係を手中に収めてしまう。
面倒な調整なども、管理職としての権限を発揮し鶴の一声で片付けてしまう。
まさに向かうところ敵なしといったところだ。
貴紀の半分の時間で倍以上の成果を出してしまう。担当者である貴紀もかたなしだ。
もちろん味方としてこれ以上頼りになるものはなかった。
だが、貴紀のがむしゃらに働いた汗と涙の三週間が、沙也加の打ちたてた成果にみるみる内に塗り替えられてしまった。
手元には、沙也加が始末した後の残りかすのような、大したことのない仕事ばかりだ。
(……やっぱり俺が頼りないからっ………)
貴紀は自分の不甲斐なさにがっくりと肩を落とし、再び自信を喪失していた。







 もうすっかり日は暮れ、薄闇の中にネオンライトが幻想のようにぼんやり街に灯る。
そんな中、沙也加と貴紀が二人並んで歩いている。
仕事の後、沙也加が貴紀を夕食に誘ったのだ。
上機嫌な沙也加を横目に、貴紀は若干浮かない顔をしていた。
「ねえねえどうした貴紀君、こんな美人と歩いてるのにつまらなそうにして、一体全体なにがあったのさ?」
沙也加が問いかけながら、貴紀の腰に手を回して、すりすりとさすりながら歩いている。
「それ、自分で言うんですか?」
「あんだとー言って悪いかこらぁー」
言って沙也加は貴紀の頬をぷにぷにとつついた。
「ね、貴紀君も私のこと美人って思う?キレイ系?カワイイ系?そこんとこどぉよ?」
腕をぐいぐいと引っ張った。
「あーはいきれいですねー」
貴紀は素直に褒めるのも癪なので抑揚をつけずに言った。
「心がこもってないぞぉー」
言いながら口元を綻ばせてクスクス笑う。素面でこれなんだから質の悪い上司だ。
「はいはい悪かったっすね」
「なぁに?本当にご機嫌斜め?」
沙也加は首を傾げて怪訝そうにしている。
貴紀はその顔を見て、少しだけカチンと来た。一言言ってやろうと思った。
「俺って、そんなにお役に立てませんかね」
「お、またお仕事の話かね君は?」
沙也加はうっすら目を細めた。業務時間外で仕事の話題となると途端に不機嫌になるようだ。
「だって、俺に任せてくれた仕事、ほとんど沙也加さんが持ってっちゃうし……!」
「そうともさ、貴紀君は私の役に立ってくれればそれでヨシ、万事解決っ」
ひとりでうんうんと頷く。
「でも……でもそれじゃ、」
言葉に詰まった。情けなさに拳をギリギリと握りしめる。
「それじゃ、好きな人にだっていつまでも認めてもらえないじゃないですか……!」
「それって…」
「沙也加さんのことですよ!!」
はっ、と口に出してから焦る。つい平静を失ってしまった。
場の雰囲気で最高にカッコ悪い告白をしてしまった。貴紀はうかつな自分を猛烈に悔やんだ。
おしまいだ。この麗しく悪戯好きな上司との親密な関係も、今日までのことになる。貴紀は確信した。
一方の沙也加は、これまでの行動を反省すると同時にゾクゾクと感情を昂ぶらせていた。
(かわいらしい、この人間はなんてかわいらしいんだろう……!カワイイカワイイカワイイ!!!)
貴紀のことが、意地らしくて可愛らしくてたまらない。
子宮が収縮しキュンキュンと震え、愛液がじゅくりと溢れだす。
沙也加は貴紀から仕事を奪いながらも誘惑を仕掛けて、いずれ自分の所有物にする作戦だった。
だが、そもそも貴紀は仕事が欲しいと言いながらも、それによって沙也加の気を引こうとしていたのだ。
オスがメスに自らの能力をアピールするための本能。沙也加はゴクリと唾を飲み込む。
(今すぐ食べてしまいたい……この愛しいオスを…私の物に……)
沙也加は今日ここで獲物を狩りとる決心をした。すると、魔物に淫魔の素養が発現するより以前より太古の悪魔の記憶が沙也加に語りかけ始める。

(この者の自立を、断じて許してはならない……)
(この者の髪の毛一本から血の一滴に至るまで、永遠に我が支配下におかなくてはならない……)
(この者を直ちに堕落させ、二度と手放してはならない……)

人間を地の底まで堕落せ
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