あくまでも上司

 「えぇーー、我が部署はー、あァーー、来期を境にして再編することになった」

昼下がりのオフィスに、課長業務がもうじき終了する男の間延びした声が響いた。
この部署再編は、外資「Raccoon Holdings」に経営統合された影響によるものだ。
黒田 貴紀(くろだ たかのり)はこの出来事に内心、期待していた。
勤続年数3年目の商社務めのサラリーマンである貴紀は、そこそこ平均を上回る程度の能力を持っていた。
厳しい景気の中で取引先との関係も身をすり減らして維持してきていたし、これからなんとか上手くやっていけるんじゃないか、となんの確証もなくそう思っていた。
ところが、昨年末に焦りから大きなミスをやらかしており、厳しい上司に部署の全員の前で「クズ」「役立たず」「穀潰し」などと激しく罵倒され締め上げられるというさんざんな目にあってしまった。
それ以降、貴紀は職場の人間からの視線が自分を責めようとしているように思えて仕方なく、肩身の狭い思いをして勤務生活を過ごしてきた。
つまり、新しい環境は貴紀にとって、まさしく喉から手が出る程に待ち焦がれていたものと言えよう。
根が実直な貴紀は、次こそは会社の役に立てるよう精進しよう、と決意を新たに、新たな配属先を示す資料に目を通すのだった。







 (…ふぅー、意外とわかりにくい場所にあったな)
朝八時の少し前、貴紀はオフィスに無事到着した。
初勤務日ということもあり、地図も入念に確認して時間に余裕を持って出発したので、目算通り到着できた。
引っ越しは無事に済ませたが、業務に関しては扱う商材も異なり、全て一からなので、貴紀はやや緊張していた。
だが、なにより貴紀を困惑させたのは、業務内容ではなく、そのオフィスの雰囲気であった。
(女性が多いな……それも、美人ばっかり……)
ついきょろきょろと視線があちこちにいってしまう。
そもそも貴紀が前いた部署は専門性の高い商材を扱っていたためか、人員が中年以上の男性に偏っていた。
だがしかし、今貴紀がいるオフィスには、芸能事務所もかくやという程にどこを見ても一癖ある美人が目につき、まさに花園といっても過言ではない。
心なしか、女性らしい甘ったるい匂いがふんわりと漂っている気がする。
デスク周りの調度品は心落ち着かせる木目柄に統一されており、女子社員のデスクには可愛らしいマスコットが置いてあったり、通路には小洒落た観葉植物が配置されている。
見た感じ男女構成比は一対三、いや四といった所か。
(ダメだな、仕事を覚えるのに集中しないと……)
パン、と顔を叩いて気を引き締めると、指定されたデスクに荷物を置き、新たな上司に配属の挨拶に向かった。







 「私、御門 沙也加(みかど さやか)です、よろしく」
デスクに近づくと、プロのモデル顔負けの抜群のプロポーションを持つ美人が顔をあげた。
少しだけ鼻にかかった、きれいでよく通る声だ。
沙也加と名乗った上司はスラリと立ちあがり、1mもない程の距離まで歩み寄ると目を合わせて両手でギュッと包み込むように握手を交わしてきた。
腰まで届く長く美しい黒髪がふわりと揺らめいている。
細長い生脚が膝小僧あたりまでの丈のスカートからスラっと伸びていた。
切れ長の目を持つくっきりした顔立ちの美貌に確固たる自信を滲ませた笑みを浮かべている。
鋭い印象を持つ人だ、まさに最近のテレビドラマでよく見るようなデキる女といった感じだ。
しかし高い役職の割に若い見た目をしている、貴紀には自分と同年齢か1つ2つ上くらいに見えた。
そして貴紀は目もくらむ程の美人を前にして、完全に上がってしまっていた。
「あっあっ…………」
「ん? どうしたの?」
「あ、ハ、ハ、ハイっ!始めましてっ」
「はい、始めまして、貴紀君?」
こちらが名乗る前に名を呼ばれてしまった。唖然としてしまいそうになるが、なんとか口を開く。
「お、俺の顔と名前、もうご存知だったんですか?」
「ええ、興味があったから♪ からかっちゃってごめんなさい」
沙也加は心底楽しそうにクスクスと笑う。自分なんかの何に興味を持ったのだろうか。
隙のない営業スマイルから急にくしゃりと無防備に笑うものだから、貴紀は少し面食らった。
こうしてよくみるとやはり美人だ、自信に満ちた笑顔も、親しげな笑顔も物凄く様になっている。
それでいて、意外と接しやすいタイプの上司のようだ。
貴紀は切り出した。
「それで、今日からの仕事のことなんですけど…」
「んーー、どうしよっかなー…」
さわさわ……すりすり……
言いながら、美人上司は目を合わせたまま感触を確かめるように貴紀の手を撫で回し出した。
「………!」
「んーー、じゃあー、君に任せたい仕事のー、引き継ぎはねぇー、えーっとねー、確か……」
今度はにん
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