主神様の小さな声

 反魔物領ネーべガルフ。人間の歴史を感じさせる石造りの街は噂通り平穏で美しく、何より魔物の匂いが一切しない。着倒れの街としても有名で、道行く人はそれぞれの好みであろう服を身にまとっているが、そのどれもが清楚さや純潔さを乱していない。街の雰囲気を重んじる、調和の民とでも言おうか。
「もうすぐ着きますが、その前にお昼にいたしましょうか?」
 道案内をしてくれているのは、今日訪れることになっている教会のシスターだ。僕より僅かに背が低いがそのすらりとした外観は天が遣わせたエンジェルのようにも見える。このような方に透き通った声でお食事を誘われたとあらば願ってもない話だが――、
「いえ、先に神父様にご挨拶に向かいます。ここの教会は魔物を退け孤児を保護する、すばらしい活動をされている。早くお話を伺いたい」
 主神教団の特命布教員として責務を果たさなければならない。という理由と共に、僕が好奇心を抑えられないというもっと強い理由が僕を喋らせる。新魔物領が増えていく中、旧体制で運営を行うネーべガルフ支部。あまり注目されないこの街が実はとても熱心に活動をしていると情報を掴んだのは幸運だった。一部では過激とも称されるが、それは一般に理解が及んでいないからだ。だから僕が実態をこの目で確かめ、この耳で真意を聞き、この手で情報を広め人々に理解を深めてもらうことで、きっとこの支部の素晴らしさは世界中に広まることだろう。そう思うとわくわくする。
「こらっ! 大人しくしろ!」
「違う! 違うんだ! 俺は別に」
 通りの先で教団員二人が男を取り押さえている。その周囲にわらわらと人が集まりつつあって、程なくして人込みで見えなくなってしまった。
「アーヒェル様。先を急ぎましょう」
「えっ、でも」
「早く神父様のお話を伺いたい。のでしょう?」
 シスターに手を引かれて僕は通りの角を曲がる。背中にワイワイと声が聞こえるが、確かに今から取材することに比べればあれは些細な事件でしかない。しかしなるほどあの光景だけ見ると過激だと思われても仕方がない。でもきっとそうするだけの理由があるのだろう。
「近頃この街は気を張り詰めすぎています。来るときに森がありましたでしょう? あそこはよく子供が入り込んだまま帰ってこないことがありまして」
「帰ってこない?」自分でも驚くほど真剣な声で尋ねると、彼女は立ち止まり僕の顔を見た。
「はい。あの森は魔物の温床なのです。反魔物領のすぐ隣になんて信じられないかもしれませんが、実際私が世話を見ていた子供たちの何人かも未だ帰ってきません」
 悲痛な表情を俯かせる彼女に同情しつつハンカチを取り出して手渡すと、彼女は目に涙が滲んでいたことに気づいていなかったようで驚いた顔を見せてから受け取ってくれた。でも泣き顔を見せるのが恥ずかしいのか返す時は一切こっちを見てはくれなかった。すっと歩き出す彼女はまっすぐ進行方向に目を向けたまま話を続ける。
「すみません。それで、それでですね。森へ出入りする者は私達教団員の許可を受けるように通達したのです。さっきのはおそらく、許可が必要であると知らずに入ろうとした者だったのかと」
 なるほど、魔物はその姿を見るだけでも危険な存在。ならば事が起こる前に生息地に人々を近づけさせないようにすればいい。彼女達は人々を正しい方向へ導こうとしているんだ。
「それにしても、白昼堂々街中で取り押さえるなんて」
「確かに多少強引ではありますが、魔物に食い殺されるよりはマシでしょう。それに、情報を伝える手段は文字や言葉だけではありませんよ」
 森に近づいた者が乱暴に捉えられる様を見れば、そりゃ森に近づこうとはしなくなる。でも同時に教団の悪い噂も広まってしまう。善し悪しだけど、教団の名よりも人を守ろうとする姿勢は他の支部にも知ってもらうべきかもしれない。


「着きましたね。さぁどうぞ」
いつの間にか目の前にあった大きな扉を開くと、ステンドグラスから取り入れた日光に照らされる講堂が広がっていた。教会自体の造りはよくあるものだ。奥には講壇があり、そのさらに奥の壁には主神教団の印が掲げられている。でもその空間には違和感があった。昼間だというのに誰もいないからかもしれない。きっと誰もいないからこそ、人が立ち入るべきでない神聖な空間だと認識してしまったのだろう。
「神父様は告解の最中のようですね。やはり先にお昼に……」
「そうですか……ではせっかくなので先にお祈りを」
「わかりました。私は支度をしてまいりますので」
 シスターが去った後、広くて厳かな講堂に一人残った僕は、その場に跪いて祈りを捧げた。地域によって祈りの捧げ方が違うが、僕はどこへ行っても自分のやり方を貫く。主神様に対する僕なりの、一心なる思いの表現だ。できればネーべガルフ式のお祈りがどんなん
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