長い雨とメアリーの眠りに足止めされること十日。この日も酷い雨降りだったにもかかわらず、ウチらは宿を出ることを余儀なくされた。ほんの一晩雨をしのごうと入った宿やっんやけど、部屋が綺麗でご飯もおいしかった分、値が張っても雨を理由に留まり続けてしまったのだ。宿の代金が払えなくなっては困ると、立ち寄った男にモノや身体を売っていたところ、見咎められて追い出されたのだった。
ウチらのような獣の特徴を持つ者にとって雨は避けたい。特にメアリーの羽織は全て羊毛で作られているから、雨具がなければ悲惨なことになる。幸い傘はあったからよかったものの、もし無ければ今以上に冷たい視線を向けられていただろう。
ずらりと並ぶ街並みをしばらく歩いていると、唐傘お化けを横抱きにした男に目が留まった。彼は確か一週間ほど前に抜いてあげた旦那さん。唐傘お化けの柄も旦那さんの帰りしにあげたものと同じ蛇の目だ。向こうもウチらに気づいたようで近づいてきて言うには、
「やあ! この前はありがとうよぉ」
と、なんだか前に会った時よりも風体がよくなっている気がした。服装や顔つきも、もっと荒っぽかった覚えがあるんやけど。
「かまへんよ。お似合いの夫婦やね」と言えば、男は頬を赤らめて笑い、唐傘の娘の方は彼にひしと身を寄せた。
「嬢ちゃんのおかげだ。城が燃やされて行き場を失くして、どん底にいた俺にこの子と出会わせてくれた」
はて、私の知らない間に城が燃やされるようなことがあったなんて――と気になって詳しく話を聞いたところ、山を二つ越えた先にある地域一帯を纏めていた武将、サダダイラ クニアキが謀反にあったことを知った。城は全焼の後に倒壊し、今は謀反の首謀者も雲隠れして土地はちょっとした混乱状態とのことだった。
「首謀者は農民たちを焚きつけて、半ば一揆のようだった。オレは命からがらここまで逃げ延びて……」
なるほど、ということは彼のように城から逃げ延びた男が他におるかもしれん。金は持ってはないだろうけど、これはいい情報だった。同類に売りつけるもよし、やろうと思えば新しい薬の実験台にもできる。
男と別れ先へ進むと、メアリーが子供の様に着物の裾を引っ張ってきた。可愛い。
「これからどうするの? できたら早く屋根のある所に行きたいんだけど」
「ちょっと待っててな。ウチも早うメアリーはんと懇ろになりたいんよ」
「そういうんじゃなくって」
むすっとしたメアリーも可愛い。どうして彼女に会った時点でこの世の時が止まって二人だけの世界に変わらないのか、正直今でも不思議だ。
「でも、今はとりあえずあの山越えよう思うんよ」
「ええー!? この雨の中!?」
「堪忍なぁ、これも薬の為やおもて、こらえてや?」
肩を落としてもメアリーは可愛かった。歩く距離としては山一つくらい、この頃の私達にはそう大したものではなかったけれど、雨は気分と足取りを重くする。道はぬかるむし、毛は水を吸う。
稚児の様にごねたり拗ねたりするメアリーと一緒に一つ山を越えると、幸いにも雨をしのげそうな岩屋を見つけた。急いで入り込んでその場に荷物と腰を下ろすと、なかなか広く、かつ丈夫であることが見て取れた。
「助かったぁ」
「せやねぇ、こんないいところがあるなんて、普段の行いのおかげやろか」
と言えばメアリーは白い目を向けてきた。かっわいい。可愛いという言葉はメアリーの為にあると言っても過言じゃない可愛い。その時もウチはそんなことを思いながら、彼女の羽織に手を伸ばした。
「ちょっとミエ、何を」
「羽織濡れてるやろ? そのまま着てると風邪ひくよ?」
「だいじょうぶだ、か――へくちっ!」
実際はもっと愛らしい声だったけど文字にするにはこれが精いっぱいなのが残念だ。実際はもっと胸の奥がざわつくような声だったし、その時の私も心臓を鷲掴みにされた思いがして、結果普段毛生え薬と称して飲ませている媚薬を取り出して飲ませたのは不可抗力なのだ。
「ねぇ、これ本当に効いてるの? もう二か月は飲んでるけど……一気に飲んじゃダメなの?」
「毛は少しづつ生えてくるもんやさかい、薬も少しづつ飲まな効き目がないんよ。継続は力言うてな」
「それにその……この薬飲んだらなんだか、体が熱くなってくるし……」
「代謝がよくなってる証拠よ。肌の回復も早なるし、もちろん毛の伸びもそうよ」
ふるふるとメアリーの身体が震えだす。寒さのせいというより肌が敏感になっているせいだ。次第に身体がぽかぽかし始めて、頭もぼんやりしてくる。毎度のことではあるけれど、ウチの作った薬でここまで蕩けてくれるのはいつ見ても心が躍る。
「ほら、羽織置いとこな?」
こくりと頷くだけ。口を開けば声が漏れてしまうからと堪えている。そう、その調子。その可愛い顔を私は永久に見ていたい。その時の思い
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