その日。
魔界都市ポローヴェで農業を営むジーア家の晩餐に、ささやかな異変が訪れていた。
「……父さん、母さん。僕さ、卒業したら家を出ようと思うんだ」
発端は、農夫ザックと妻アリサの長男アシュトンがもたらしたこの発言である。
息子からの突然の告白に、しかしジーア夫妻の驚きは、さほど大きなものとはならなかった。
ただ、「ああ、ついに打ち明けてくれたのか」とでも言いたげに、軽く目配せをしたのみである。
ここのところ、息子の態度がおかしいことは承知していた。
家業の畑仕事こそ真面目に手伝うし、学校の課題とて欠かしていない。だがその一方で、声をかけても上の空であったり、夜は独りで自室に閉じ籠る日が続いていた。学校の卒業が近付くにつれて、そうした様子が目立つようになっている。
好きな娘でも出来たのだろうか。
それとも自分の将来について悩んでいるのだろうか。
汲めども尽きぬ湧水の如く、不安と心配は夫婦の心を満たしたが、彼らは敢えて愛息子へ手を差し伸べる事をしなかった。年頃の若者であれば誰しもが通る道であったし、すぐさま親が介入するよりも、まずは自身がたっぷりと悩んでからにするべきだというのが彼らの教育方針だったからだ。
特に何の疑問を持たず、父祖から農地を受け継いだザックとは違い、息子は昔から自分の中ではっきりと意見を組み立ててから行動する賢い子だった。考え続けるが故にかえってすぐ行動できない悪癖も時に見られたが、欠点としては些細に過ぎる。
近所に住む他の農家から「本当にお前の子なのか」と冗談めかして言われることもしばしばだ。ただ、それは性格や知識量といった内面的な部分のみに留まらず、外見について指摘するものでもあった。
日頃の農作業でがっしりとした体型と厳つい面相になったザックと違い、青年期に入った今でもアシュトンの外見は少年に近い。平均身長よりも低い背丈。どれだけ外に居ても日焼けしない、白くきめの細かい肌。ネコ科の動物を思わせる金色の癖毛。
加えて顔立ちや仕草は自他ともに女性的と認める程で、アルプに間違われて男からの告白を受けた事すらある。……もっとも、これらは本人にとってコンプレックスでしかないようだったが。
やや話が横道に逸れたが、愚直で大した学も無く、褒めどころのない容姿しか持たないザックにとって、アシュトンは自慢の息子だった。
この日アシュトンが話を切り出したということは、彼の中で何かしらの結論なり行き止まりなりに達したと思って良いのだろう。
ザックは食事の手を休めると、テーブルの対面に座る息子をまっすぐに見据えた。
普段は大人しく人見知りがちなアシュトンが、今日はしっかりとこちらの目を見返してくる。
彼なりの覚悟を感じ取り、ザックは無意識に居住まいを正した。
暫し頭の中で言葉を選んでから、ゆっくりとした口調で問い掛ける。
「……家を出て、どうする積もりなんだ?」
「冒険者になりたい」
がしゃん、と耳障りな音が食卓に響く。
一拍置いて、自分の手からフォークが零れ落ちた音なのだと気が付いた。
冒険者。
魔界化したポローヴェでは、既に馴染みの薄れた職業である。
しかし一昔前は、それこそ多くの若者たちが、一攫千金を夢見てこの職業を志したものだった。
かつて『貧困国家』と揶揄されたこの国では土地に根差した産業が育たず、飢餓と犯罪に支配されていた。軍や傭兵と違って特殊な技能や学識が必要でなく、腕一本のみで生きる世界に、誰もが希望を夢見たのである。
生まれも育ちもポローヴェであり、魔界学者サプリエート・スピリカ氏によって祖国が魔界化する以前の苦難を経験したザックもまた、冒険者になることを選んだ友人を何人も見送ってきた。
その中には男も居れば女も居た。彼より年下の若者さえ居た。みな一様に話に聞いただけの理想郷に瞳を輝かせ、故郷を捨てる事に何の躊躇も後ろめたさもなく。むしろ先のない土地を離れられるという事に、何よりの魅力を感じているようにさえ思えた。
されど、生まれ育った土地を見限り、富と安定を求めて旅立った彼らとは、それきり再会できた試しがない。故郷が豊かな大地へと生まれ変わった今もなお、である。
遺跡のひとつも掘り当てられれば、なるほどそれはさぞロマンある話だ。
そこに財宝が眠っていたならば、億万長者とて夢ではない。
放浪の吟遊詩人が村々で冒険譚を詠おうものなら、名声さえも思いのままだ。
しかしながら、夢と現実には厳格に線引きが成されている。
多くの人々は、得てしてそれを超えられないものなのだ。
生きるためには金が要り、金を稼ぐためには夢ばかり見てはいられない。
だが、そもそも身分も不確かな自称『夢追い人』に仕事を任せようという手合いが、この世にはどれほどの数いるものだろうか。
ザックならば少なくとも、そうした
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