「もう、なんど溺れれば気が済むのかしら、この子」
サユリをおぶったシープはやれやれと呟いて夜道を歩き始めた。翼も角も尻尾も、自身を魔物たらしめているものは全て人に化けることで引っ込ませてある。流石に夜道で少女をおぶってどこかへと向かうサキュバスを目撃すれば、それは魔物に対する正しい知識がない者が見れば、弁明の余地もなく確実に誘拐の現場と見間違うだろう。さすがにそんな場面にわざわざ出くわそうとするほど、シープは愚かではなかったし知恵がないわけでもなかった。
しかし――とシープは思案する。再び足を滑らせて川で溺れてしまうあたり、サユリは何か持っているらしい。この場合は、不運な何かを。
面倒見のいい姉が妹をおぶって家まで帰るような、そんな情景を浮かばせる足取りでしかしシープは確実に一歩一歩ウツロギへと向かっていった。
「で、警備隊のところへ行って事情を説明したら、助けてくださってどうもありがとうございますってこんな服までお礼にくれちゃった♪」
「納得いかないわ!!!」
シープの説明に抗議の声を上げるサユリだったが、その意見もどこ吹く風といった様子でしかしシープは勝手にサユリの部屋を物色し始める。
箪笥の中を覗いてみたり、洗面台の用具を見てみたりとやりたい放題だった。
「ちょ、ちょっと!」
「ん?なあに?」
「人の部屋を勝手に漁らないでよ!」
「あら、どういうこと?」
本当に。
本当に何を言っているのかわからないと首を傾げるシープに苛立ちを覚えながら、サユリは丁寧なことにその訳を説明し始めた。馬の耳に念仏、ではないが。サキュバスの耳に小言は届くかどうか。無論、言わずもがな、その結果は前もって明らかにされているようなものなのだが。
だが、その結果はサユリが半ば諦めかけた頭でうっすら思い浮かべていたものよりも、ずっと先へ進んだ結果だった。シープの答えだった。
「いい?ここは私の部屋。荒らすなんてダメ。それにここ、中立国家よ?あなたが居座ってていい場所じゃないの」
「ええ、それで?」
「中立っていうことは、どちらにも属さないってこと。魔物が領地にいたり、まして城壁よりも内側にいるなんてあってはならないことなの。わざわざ中立と名乗っておきながら魔物を招き入れると誤解されても文句は言えないわ。あなたが何を考えてこの領地にいたのかは私はまったく知らないけれど。
た、助けてくれたことには感謝してるけど、でもそれと国の決まりごととはまた話が別なの。それはそれ、これはこれよ。まったくの別物。だから!」
すっとサユリはドアを指差し、毅然とした態度で
「今なら見逃して上げられるから、出て行って」
そう言った。言った刹那。
「いやよ」
「・・・あの、話聞いてた?」
「もちろん」
「いやだったらわかるでしょ!?あなたがいると、魔物に与したと思われちゃうの!もしそうなれば大変なことになるわ。早い話、中立って立場は危うい立ち居地で鳩派、つまり日和見主義みたいなものだから、宗教国家からは煙たがられてるし、親魔物国家からすれば与したなら『交流』をしても問題ないって発想になるでしょ?
そうすると、宗教国家にとっては悪い芽は早いうちに摘みたいし、親魔物国家からすれば早く取り入れたい。立ち居地が危ういどころじゃないわよ。戦地の真っ只中においていかれるようなものなんだから、わかった?」
「でもねえ。悪いけど離れるわけにはいかないのよねえ」
「こっちはそれで困るのよ!」
「でも貴女が言ったのよ?」
「へ?」
「××に××たいって」「おーいサユリ、溺れたって本当?お見舞いにきたよー」
シープの声を掻き消すようにドアが開かれ、同時に一人の少年が部屋に入ってくる。色素が少し抜けたような茶髪に、華奢な体つき、そして中性的な顔立ち。しかしうっすらと見える筋肉は確かな鍛錬を積んだと窺えるものだった。腰にはシープが携帯していたものと同じダガー。
しかしサユリはお見舞いに来てくれた少年よりも真っ先にシープの正体を見られたのではないかと肝を冷やした。魔物と一緒にいるところを見られて、間者とでも思われたらたまったものではない。
が、その心配は杞憂に終わっていた。いつの間にやら、シープは人の姿になっていた。角も翼も尻尾も、元々そんなものなど無かったかのように消えていた。そして、残っているのは露出が少ない服に身を包んだシープだけだ。人間に見える魔物なだけだ。
「あ、ありがとう。クヌギ」
「どういたしまして。あ・・・えっと確か」
「シープよ」
「シープさん、本当にサユリを助けてくれてありがとうございます」
丁寧な言葉遣いに柔和な物腰。その態度を崩さずに頭を下げられ、シープもそれにつられてお礼には及びませんと言いながら頭を下げた。
なんで上から目線
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