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恐怖というものはいつからその形を恐怖たらしめているのだろうか。人は己の理解の範疇を超えたモノに出会った時、恐怖する。それは当然のことである。これは人の精神上の防衛本能であり最後の砦となっている。つまり、人は恐怖することで己を守っていると言い換えることが可能である。では恐怖しなければ人は発狂してキチガイにでもなってしまうのか。否。戦場の例を考えてみれば単純明快で、そもそも恐怖という防衛機能の前には複数の壁が存在する。それは戦場でのけたたましい鼓舞であったり、失神することによる意識の忘失であったり人の機能はそこまでヤワではない。
では人は本当に恐怖することなど本当にあるのだろうか?そのことを実際に証明するために私はあらゆる手段を厭わない。恐怖の証明という哲学めいた、学会からは奇異の目で見られるようなことでも進んでする。そうせねば学問など発展するはずもないのだ。
だから私は古今東西、ジパングから存在が実しやかに囁かれている霧の大陸にまで疑いの目を向け、恐怖の資料を探す。貪欲に探究する。知的好奇心が無いと言えばそれは真っ赤な嘘になるが、それでもこの研究が唯一無二の、有意義な産物へと変貌を遂げると信じて。
無論当てずっぽうに研究しては埒が明かない。言わずもがな多少、対象は絞ってある。幸いにも一つ、恐怖の研究に適した現象が近くの漁村で発生していると、風の噂で耳にした。
まずはそこで噂の真偽と、そして恐怖とは何なのかを確かめるとしよう。
その前に、手記にも私の名前をキチンと記しておこう。
私の名はエウレカ。エウレカ・ヘンデ。神聖学哲学科首席卒業、性別は女。これくらいでいいだろう。早速明日から、調査を始めることにする。
2
噂の漁村まではさほど苦労せず到着することができた。見る限り、特に述べることもないありがちな景色が広がっている。砂浜、海、そしていくつかの家がちらほらと。そして点在する漁師小屋。遠目に見えるのは洞窟だろう。
とてもこの村に怪異がその根を張っているとは思えない。と、決めつけるのは早急に過ぎるだろう。まずは基本的な聞き込み調査からすることにしよう。
ああ、そうそう。私としたことが記しておくのを忘れていた。この漁村で起こっている現象について、怪異について。
事の発端は二週間ほど前だという。ある村娘が色情を堪え切れず村中の若人を貪ったというのだ。これだけならまだ、さほど愉しみのない村の廃頽的な密やかな宴と理解できなくもない。しかし、それが複数であれば?
日を追うごとに増えていく好色な村娘。そして決まって若人と交わっては特定の一人に執着するようになるという。
これは明らかに異常であり、異質である。魔物の仕業にしてもその意図もヒントも掴めない。首席卒業が無様なことだ。しかし逆に魔物の仕業でなければこれは絶好の恐怖に対しての研究になり得るのである。
生物が己の生命の危機に瀕した時、とる行動は限られてくる。その中には生殖行為も勿論含まれる。そして生命の危機、つまりは恐怖を感じる時の本能的な行動に性行為は含まれる。ならばこの村はまたとない材料なのだ。当然の義務としてこの村の怪異解決もあるのは言わずもがなとして。
実際に人々の声を耳に入れねば調査も始まらない。適当な村人、主に女性を中心にして質問をぶつけることにする。
質問の内容に関しては、いかにも宗教国家のような質問を少し捻くったものにする。つまり、不貞を働いていないかどうか。神聖学哲学科の肩書がこんなところでも意外と役に立つ。さて早速と行動に移し、私は赤髪の婦人に声をかけた。国家からの調査と言えば喜んで答えてくれるところに、まさに万能の道具のような肩書きだ。
「あら、不貞なんてそんな。私は主人以外の方と関係を持ったことなんて一度もありませんわよ?それにしても、お国も随分と踏み込んだ調査をするようになったのねえ。それもこんな漁村まで」
一人二人と話を聞いてみるも、ほとんどが前述したような回答ばかり。これは私の見当違いも疑われたが、火の無い所に煙は立たぬと言うくらいだし手がかりの一つでもあればと思ったのだが、主神様は私の研究にはとんと興味もないらしい。漁村に赴いてそうそう八方塞がりになった私はどうしたものかと頭を抱え込んだ。
何しろ目ぼしい人には声をかけても、知らぬ致しておらぬ存ぜぬばかり。質問の内容を変えてみても同じことだった。搦め手も悉く躱され、何やら空気を相手にキリのない押し問答をしている気分になってくる。
根拠のこの字もなければ証拠のしの字もない。確信のかの字もない。畢竟、打つ手なしのやることなし。あまりに早すぎるが、一つの手段に過ぎない以上はこの漁村に執着していても仕方が無い。しかし早すぎる諦めは研究の放棄である。
私はしばらくこの
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