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「クァ〜最ッ高ッだァ!」
お天道様がまだ地表を撫でまわしていようともなんのその、洞窟内の気温は常に一定であるからして――といった薀蓄も全て平らげてしまいそうな如才ない酌の手に極まった声を上げているのは一人の男だった。
この男、名を弥吉と云うのだがロクデナシもロクデナシ。下半身と目出度い頭だけで物事を考える様な男だがどこか憎めず、明らかなヒエラルキの最下層に居座りながらものらりくらりと生きているような男だった。そんな男に酌をする酔狂な女も普通の女では役者不足であることは、想像に難くない。艶美な曲線を描く身体つきは見ていればつい、片手で抱き寄せたくなるような、欲望の滴りを漏らしてしまうようなものではある。
しかし毛むくじゃらな手足と、猿のそれに似た尻尾。いや、猿そのもの。人ではないのにも関わらず、寧ろだからこそその姿は妖艶の語句が相応しい。
カク猿という魔物、好色極まりなく身勝手、だが中には西方を旅する高僧のお供もいる――などとは御伽噺の語りのみ。酌をしながら自身もつまみ片手に酒を煽るその姿はどこか清風が背後から起こしているような清々しさすら感じさせ、呑んだくれる二人には蠱惑的な退廃の風情すらあって。
有体に云ってしまって、朝でも昼でも夜でも呑んだくれる姿は似合っていた。
「んぐっ、んぐっ、あぁ〜酒精が五臓六腑に染みわたってタマんねェなこれ」
「あ〜キくねぇこれも」
喇叭飲みに煽る二人は堕落しきったそれであり、どこぞの神ならば喜んで伏魔殿に導き入れようその豪快さは海の男よりも荒々しくもあり、快活さすら覚えるほどで。
そもそもなぜこのような奇妙な組み合わせが洞窟内で存在しているのかと問い質せば、時は数刻ほど遡る。
山に一口齧れば聖者でも千鳥足になって笑い出すという怪奇極まる珍味があると伝え聞き、享楽を善し退廃を善しとする弥吉にとってこれほど胸躍る話もないと酒瓶携え山登りと行くのは、まあ性格を……頭を詳らかにして覗いてみなくても納得が出来よう。
下駄をカランコロンと鳴らしながら、鼻歌混じりはさもご機嫌に見えた弥吉の顔が引きつったのは山の中腹まで登ったところからだった。それまではある程度開けていた視界は急に悪くなり、鬱蒼と生い茂る木々が葉を鳴らす様は他人のヒソヒソ話のよう。ぞっとしない感覚に陥った弥吉の中では既に帰りたい気持ち半分と、それでも珍味を求めるどうしようもない呑んだくれの野心が半分になっていた。身体は後ろへ下がりながらも足は前へ進もうとするという、無駄に小器用なことを一人でやってのける様は、観客がいようものなら道化師に通ずる滑稽味に冷笑の一つでも浴びせただろう。しかしそうならなかったのは、突如として現れた何者かが弥吉を横から掻っ攫って行ったからであり、拐された弥吉からしてみればお頭の回転も追いつかずにギャーギャーと喚くぐらいしかできなかった。
韋駄天の速度から跳躍にわたる跳躍でいい塩梅に発狂しかけて、漸く正気を取り戻した頃には弥吉の姿は洞窟にあった。すると今度はこんな目に遭わせた張本人は誰だと、当然怒りが湧くのもさもありなんといったところで。
しかしその張本人が野性味ある、凛とした佩刀の気が相応しい美女であったならその怒りはまるで最初からそんなもの御座いませんでしたという都合のいい引っ込み具合だった。
「なんだいなんだい、間の抜けた顔をして。これからちょっとイイこと出来るってんだから、ちったあ嬉しそうに阿波踊りに一つでも踊ってみなってんだよ」
粗野で傍若無人な物言いにも関わらず、その気質はどこか姉御肌のようなものを感じさせて不快ではなく、現に弥吉は更に新しい魅力を見つけたようで、ほぅ、と溜息一つ漏らすのみだった。
それを女々しいと感じ取ったのか、しかめっ面で文句の一つでも言いたげに弥吉に迫った美女は突如として硬直した。顔と顔とは息が肌を撫でる程に近いのに、視線は悲しいほどすれ違っている。弥吉はひたすらに美女へと、美女は弥吉が洞窟へ運ばれている最中にも手放すことのなかった酒瓶へと。どこか物悲しさを感じる視線のすれ違いは、しかし美女の一言によってぴたりと一致した。
「なあ、その酒呑ませてくれねえ?」
かくして酒盛りは始まり、現在に至り、酒気は洞窟内に噎せ返るほど満ち満ちていた。既にどこか酩酊しているような二人ではあったが、酒を交わしたことによる奇妙な昂揚からか、そんなもの平気の平左という次第で。
カク猿自身、しばしば洞窟内で酒盛りをするのだろう。出てくる美味佳肴の数々は酒に灼けた舌に心地よく、弥吉にとって至れり尽くせりの酒宴となっていた。
「いんやぁしっかし、まさかちょっと味見しようと思ってた人間が珍しい美禄携えてたなんてねえ。今日のアタシぁツイてるわ。ごくごく」
「そりゃ俺もだ
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