前篇

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 例えばここに幼馴染がいたとする。異性の幼馴染というだけで、それは一般的常識と照らし合わせると健全な男子の怨念を集め、目からは血の涙を流させる代物と化すが、僕はそうは思わない。兄妹が煩わしいと思いながら、一人っ子を羨んでいると実は一人っ子は兄妹を羨んでいるように、隣の芝生が青く見えるだけで実情を体験してみれば呆気ないものだ。むしろつまらない部類にすら入りかねない。
 登下校で毎回顔を合わせるとなると、それはもはやうんざりしてしまうようになる。そんな風にどんな人間関係であれ、時間というものが長年雨ざらしにされた銅像のごとく錆びつかせ、風化させてしまう。少なくとも僕はそう思っていた。
 だから、誤解をまねいてしまうことを恐れずに言えば、僕は幼馴染のことがさっぱりわからなかった。美人だと思うし、外見的にはいつも自分が隣で歩いていることが申し訳なくなり、全国を平身低頭で歩き回りたくなるほどだ。その豊満な胸部は男子の視線を集めるだろうし、魔物娘らしく漂わせる形容し難い艶めかしい空気は牡を欲情させるためにあるようなもの。それらを兼ね備えた彼女は男が渇望する女の理想像の一つだろう。
 その心を射止めることができるなら、なんだってする奴がいても不思議じゃない。幼馴染という贔屓目を引いても惹いてしまうほど、彼女は魅力的ではあった。
 だからこそわからない。

「ねえ、エッチしましょうよ」
「嫌だって言ってるだろ、黒野」

 どうしてここまで彼女が僕を求めてくるのかが、わからない。

「せつないのよ……いいでしょ?」
「えげつないの間違いじゃないの?主に要求が」

 彼女の種族はダークヴァルキリー。堕落という単語がそのまま擬人化したような性質を孕む彼女がこうして求めてくるのは、理解できない範囲ではない。下校をしている最中であることを除けば、魔物娘らしい要求ではある。

「私、ベッドの上でなら淫らに変身する自身があるのに」
「変身ってより変人でしょ?」
「ああ言えばこう言って、いっつも私をあしらうんだから。ねえ、どうして抱いてくれないの?私のこと嫌い?」
「嫌いじゃないよ」

 嫌いではなかった。わからないだけで、いいやつだとは知っているし、魅力もじゅうぶんある。ただ彼女は魔物娘で、僕は人間だ。そこに価値観の微妙なズレがあることがひどく僕を不安にさせた。
 黒野はいつも身体を求めてきては適当に僕にあしらわれ、頬を膨らませて家に帰っている。逆に言えばいつも肉体しか求めてこない。僕だって彼女の肢体を抱きしめたいとは思うし、まさぐりたいという欲求もある。でもそれはきちんとした関係の手順に従ってするんじゃないのだろうか。デートしたり、一緒に笑ったり。そんなどこにでもいるような恋人と同じことをして、そこから発展するものではないのだろうか。

「じゃあ大好きなのね」
「嫌いじゃないと好きは同義語じゃないよ」

 もっとも、彼女は察してはくれない。

「ケダモノはのけものってこと?」
「そこまでは言ってないよ」

 察してくれれば楽だというのは、さすがに甘えだろう。自分から切り出さないと物事はそうそう進むものじゃない。ただ一人でも姦しい黒野との会話の最中、どうやって切り出すかが問題だった。いきなり切り出してもいいが、それでも彼女は人の話を聞かない。聞く余裕がない、つまり必死になっているからだとは思うけれど。釈眼儒心とまではいかないでいいから、せめて心にゆとりを持ってほしいと思う。そのゆとりを失わせているのは僕かもしれないと考えると、チクリと胸を刺す何かを感じるのがなんとも複雑なところだ。

「あのさ」
「脱ぎなさい」
「会話の大暴投はやめて」

 血走った眼でこちらに迫ってくる黒野に鬼気迫るものを感じ、僕は思わず後退った。常日頃からここまで強引なわけではないが、今日の黒野は少し違う。ひょっとすると僕が今まで適当にあしらい続けたせいで、いよいよ我慢の限界がすぐそこまで来てしまったのだろうか。鼻息を荒くして両手をわきわきと動かしながらにじり寄る黒野の姿は、どこかいたいけな婦女を襲おうとする悪漢に見えた。立場が逆になっていることによる若干の悪感がプライドを刺激し、かろうじて僕の身体を動かしてはいるが、いつ貞操を奪われてもおかしくはない。

「悪いようにはしないわ」
「悪役が吐く台詞だよ、それ」
「私、ダークヴァルキリーよ」

 確かに物語では悪役だ。悪役は民衆の心なんてわからない残虐非道な振舞をするけれど、黒野もそうなのだろうか。確かに、僕に非が無いとは言わない。今まで散々彼女の誘惑を断ってきた。その度に彼女は悶々とした気分になり、胸の中に溜まった煙をどう処理するか悩んでいたのだろう。でもそれだってお互い様じゃないか。
 いつも人の話を聞かない黒野は、毎回僕を自
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