淫落

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 そこは、一言で表すなら神域という言葉が相応しかった。礼拝用に並べられた木製の長椅子こそ古びてはいるが、その他はそこらの教会と比べても落ち度は見当たらない。懺悔する者を慈悲深く見つめる聖母像は、ただそこに存在するだけでその場にいる者の心を穏やかなものにする。床や壁にも手入れは行き届いており、普段から入念に掃除されているのが一目で理解できる程だった。だが、何よりもこの場所を神域として格上げしている存在は?と問われれば、町の男は口を揃えてこう言うだろう。「それはあのシスターの――ムーサの――おかげだ」と。

「大丈夫ですよ。神は全てをお許しになられています。ですから、もう泣く必要なんてありません」

 柔らかくも、はっきりと芯があることを感じさせる声でこう言われると、どんな罪人であろうと涙して神様の存在を一瞬でも信じるだろうと、酒場で飲んだくれる男たちですらそう口にするほどに、ムーサは美しかった。
 一本一本がその身の清らかさを表すような白い髪に、端整な顔立ち。そして修道服の上からでもわかるほど自己主張の激しい胸に、くびれた腰、弧を描く尻。もし教会ではなく、経つ場が娼館であったならば連日通い詰める男が続出するだろうと、下卑た顔で語らう群れが酒に溺れ、そして己が腕で抱けないことを悔やみながら財布に木枯らしを吹かせて去るのが町の日常だった。
 強引に抱き寄せることは、おそらく誰にでもできるだろう。だがムーサという女は、心理的に男たちの欲求をすんでのところで抑えていた。
 単にムーサを抱けばその者は他の男たちから袋叩きに遭う、というのもあるだろう。しかしそれ以上に、ムーサは存在が稀薄だった。抱きしめてしまえばもうそのまま散ってしまうのではないかと思わせるほどに、存在が稀薄。
 その稀薄さが男たちの心に余裕を失くし、ただ神々しい偶像崇拝にも似た心境をもたらしていた。が、それはあくまでも男たちの観点からであって、ムーサ本人が意識していることではなかった。
 当のムーサ本人はといえば、祈りの時間や仕事の時間を除けばあとは夢想に耽ったりすることもしばしばある、年相応の乙女だった。
 だがシスターという身分であればそこまで自由な時間はなく、ほんのひと時を同じシスターであるアリッサと雑談で過ごす程度にとどまっていた。
 恋がしたいという願望は確かにあるが、それよりも神に仕える身でありながら色恋に現を抜かすことではいけないと自らを律せない精神ではなかった。今はその時ではない。まだまだ辛坊の時と己に言い聞かせ、極めて純粋な欲求も忘れるように祈りなどに没頭していた。ある意味、ムーサは自分に対して堅物だったのかもしれない。
 だからこそだろうか?
 ムーサは今、動けないでいた。
 教会に寝泊まりしているムーサやアリッサは交代で夜の見張り番もしている。魔物の噂が絶えない中での役立たずの……言ってしまえば形骸化した措置だったが、ムーサもアリッサも極めて真面目にその任をこなしていた。今日もまた、いつものようにムーサはアリッサに交代の時間を知らせるべく、アリッサの部屋の前に立っていた。
 そして、そこから動けない。

「……アリッサ?」

 ドアの向こうからは、アリッサのものと思われるくぐもった声が微かに聞こえてきていた。最初はたちの悪い風邪でもひいてうなされているのかと心配になり、急いで部屋に入ろうとした。だが、そこでムーサの何かが反応し、ドアを開けようとした手はぴたりと止まってしまった。
 くぐもった声には違いない。違いないがその声に微妙な違和感を感じていた。ムーサとアリッサは長い付き合いだったが、そんな仲でも聞いたことがない声色。どこか心の奥を擽られ、背徳を犯しているのではと錯覚させる艶が声に含まれていることに、ムーサは気づいた。

「……」

 息を殺す。
 悪い事だとは頭の隅で理解しつつも、僅かに動揺した心にたった波紋が広がるのを止められず、ムーサはそっとドアを開いた。片目程度の隙間から部屋の様子を窺おうとして、今度は絶句した。
 ドアを僅かでも開いてしまったからだろうか、先ほどよりも明瞭さを増したアリッサの声が、間違いなく部屋の中で行われている行為がそれであると、明白に告げていた。
 声だけではなく、水音が、息遣いが、ベッドの軋む音が、遮られていたはずのものが全てムーサの耳と目にとどき、ムーサは自分の息が荒くなるのを感じた。
 未だかつて見たことがない光景。経験がないということはそれだけで刺激を増幅させ、ムーサを昂揚させた。
 神に背く行為だと言い聞かせ、正気に戻ろうとしても視線はベッドで自慰に耽るアリッサの姿に釘づけになってしまう。

「あぁぁもう、最ッ高」

 蕩けた表情を浮かべて快楽を享受するアリッサは身体を弓なりに仰け反らせると、ビクビク
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まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33