笑わない猫ならぬ。
猫のない笑い。
誰でも一度は見聞きした覚えがあるであろう、有名な文学作品「不思議の国のアリス」の第三章だったか、二章だったか、それは忘れてしまったけど。兎も角、その作品中に出てくる不思議なお茶会だったか宴会だったかそれとも猫の去り際の言葉だったか、その辺りの言葉だった気がする。
どうしてそんなことを今さら、高校生にもなって思い出しているのかと言えば、それは十中八九まず間違いなく確実に転校生が原因だろう。
回想。
転校生。
ドラマやアニメではよくありがちなイベントだが、実際にそのイベントに出くわすことなくモラトリアム高校生活を終える学生が大半の中、どうやら僕はそのイベントに縁があったらしく、クラスでも早くも転校生の話題で持ちきりだった。
それも、魔物娘らしいとくれば、男子の興奮度は女子が軽く引いてしまうほどのものだった。
魔物娘。
好きになった男性に尽くし、決して浮気をしない。昼は淑女、夜は娼婦。男性の理想の女性像が顕現したような存在。夢のような話が現実に。そんな相手がひょっとすれば、自分を好きになってくれるかもしれない。そう淡い希望を抱かずにはいられないのだろうから、まあ、盛り上がるのも無理はない話しだった。
で、生物学上そんな男子に分類される僕はといえば、自分の机で一人黙々と好物のロールケーキを頬張っていた。
別に興味がない自分カッコイイとか、そんな訳じゃなくて。ただ、自分は選ばれないだろうと思っていただけだった。
当然だろう。
クラスにいる数多くの男子から、自分が都合よく選ばれるなんて妄想は、していても虚しくなってしまうだけだ。先の虚しいよりは、目先の美味しいの方が僕はよっぽどいい。
そうやって適度に自分の中で諦めをつけながら、僕はロールケーキの上品な甘みを堪能して、食欲を満たした。丁度、その頃には朝のショートホームルームの時間になり、猫背の教師が教室に入ってきたことで、熱せられていたかのように騒がしかった教室も静まり返った。
やがて、入りなさいという教師の声に従い、その転校生は姿を現した。
一言で表すなら、それは猫だった。それはもう、わかりやすいくらいの猫。肉球があるあの特徴的な手をそのまま人間サイズにした手に、頭部に生えた獣耳。そして尻尾。どれをどうとっても猫としか言えない転校生だった。
腰まで伸びた髪の毛とぴくぴくと動いている耳は、手入れをしているのかそれとも天然なのか判別はつかないけれど、縦半分で、耳は左右がそれぞれくっきりと、そう、オッドアイのように綺麗に色分けがされていた。黒と紫、映える色だ。
チェシャ猫。
それが転校生――色分いろは――の種族だった。
なんでも、不思議の国からやってきて、そのままこちらへと住み着いたらしい。いわゆる、逆輸入とか、そんな感じだ。
自己紹介もそこそこに、やがて転校生は空いている席、つまりは、僕の隣の席にずんずんと歩み寄り、そして。
目が合った。
目が合ったというよりは、転校生の方から目を合わせてきた。そして、にんまりと鋭い歯を覗かせる、あの不思議の国のアリスの挿絵にあったチェシャ猫そのままの笑みを浮かべると、
「お前に決めたにゃ」
そう言ってのけ、ずいっと顔を近づけると、そのまま僕の唇を奪った。
平たく言えば、キスされた。
「......は!?」
事態の把握にたっぷり数秒は要しただろうか。いきなりの出来事にクラスも静まり返っていたが、やがて女子の黄色い声と、男子の罵詈雑言や嘆きの声で教室が満たされた。大胆、羨ましい、死んでしまえ、もげろ、そんな声が次々と僕に飛ばされるが、僕としてはそんなところではなかった。
突然キスされて、冷静になれるわけもなく、ついでに白状してしまえばファーストキスを奪われて落ち着いていられるわけもなく、僕は頭の中がこんがらがって、脳内で矢印をあちらこちらへと乱舞させるしかない。疑問符が次々と湧き水のように溢れては消えていく。完全にこの時の僕にとっては許容量を越えた出来事は、回路をショートさせていた。
そんな僕にかまうことなく、彼女、いろはが次にとった行動は、
「んにゃ♪」
ハグだった。
それも、体重を全てこちらに預けるような、重いハグ。
重心が傾き、バランスを取ることに失敗した僕が椅子から転げ落ちても、驚くことに彼女は僕に抱きついたままだった。それどころか、その豊満な胸をあからさまに僕の胸板に、ぎゅぅっと押し付けてきていた。制服越しに、柔らかくてどうしようもなく女性のものだとわかる感覚が伝わり、乳房がぐにゃりと音がしそうなほどに形を変え、つぶれた鞠のような形になっていく過程をこれでもかと見せ付けられた。
「なっ、ちょ、ちょ、まっ」
未だ狼狽えることしかできない
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