ある少年の葛藤

 宗教国家『リンセット』主神を信仰する教団国家の一つで、小規模の国家ながらも何度か魔物の侵攻を防ぐという、軍事的には力を持った国家だった。当然、その主な力は兵達によるもので、みな日頃の訓練を欠かさずやっていた成果とも言えよう。
 そして、そんな国家の市場を一人の少年がぶらりと街中をうろついていた。暗黒を溶かしたような黒い髪に、全体的に細身の体躯、そしてその少し気だるげな半眼は、不健康とは言えないが健康そのものであるとも言い難い。そんな少年は好物なのだろうか、市で袋一杯に買った林檎を一つ、大胆に歩きながら噛り付いていた。ただそれだけの行動を咎める者など、誰もいないだろうと思われたが、何事にも例外はあるようだ。

「フーリ!」

 そう、咎めるように、叱責するように。
 突然少年の前に仁王立ちで立ちはだかった翡翠色の髪の少女は、顔を真っ赤にしながら少年へと詰め寄る。

「げ、フラン」

 自分の身に危機が迫っていると感じたのか、少年は素早く身を翻し、その場を立ち去ろうとしたが、しかしそれは少女が少年の腕を掴むことによって阻止された。
 少年はしばしその手を振り払おうとしたが、しっかりとした力が伝わってくる手の感触から、抵抗は無駄だと悟ったのか、大げさに肩を落した。
 この世の憂いの全てを凝縮させたような溜息を一つ吐き、フーリと呼ばれた少年は少女――フランと相対した。
 翡翠色の髪と同じ色の瞳に、少し大きめの胸。そしてくびれた腰に大きく出た尻。健康的な女性そのもののような体つき。
 そんな少女はむすっと頬を膨らませて、フーリを睨んでいた。

「なんだよフラン」
「とぼけないで、今日は訓練の日でしょ。あなた、いつまでもサボってると教官から兵を止めろって言われるかもしれないのよ!?わかってるの?あなた、身寄りもないんだからちゃんと――」
「ああわかったよ。わかったわかった。ちゃんと出るって」

 このまま口を開かせておいては奔流のように止まることのない説教を受けると思ったのか、フーリは林檎をフランの口に突っ込むことでその止まることのない説教を封じた。
 いつもそうだ。とフーリは思う。いつもいつも自分に付きまとってきて、心の中に妙な感覚を感じずにはいられなかった。頭の中では自身で、それを思春期特有のものだと理解はしていても、それでも煩わしさからは解放されない。
 解放されたところで、その感覚の全貌を知るのは、まっぴらごめんだった。知ってしまえば、身体の中から熱いものがせぐり上げてきそうで。
 その感覚には蓋をするに限ると、フーリは心の中で思っていた。

「もぐもぐ・・・ごくん。あなたいっつもそう言ってサボるんだから、今日は私もついていくわよ!」
「・・・参ったねえ」

 世話焼きも、度が過ぎると中々毒だった。フーリが訓練に顔を出さない理由の大半は剣も魔法もからっきし駄目だという、つまるところ役に立たないのなら顔を出さない方が迷惑をかけないという、彼なりの気の遣い方だったのだが、どうやらそれはこの口うるさいフランには通用しないらしい。
 考え方が違うのだ。
 フランは良くも悪くも真面目で、規律を重んじる。それは当然サボり癖のあるフーリを見逃さないことに直結し、毎度毎度フーリを探しては訓練に連れ戻すということが日常茶飯事だった。
 一方のフーリはと言うと、こちらはこちらで正反対、柔軟な、言い方を変えれば小賢しい少年だった。何かと理由をつけては訓練をサボり、好物の林檎を齧りながらあちこちを散策する。それが日課だった。おまけにサボる理由も単なる、「だるい」「めんどくさい」等ではなく、「自分が行っても足を引っ張るだけなのでこちらは情報収集に努めます」というような一応、しっかりとした(本人にとっては)理由をつけてサボっていた。
 水に油。相容れないような二人だったが、だからこそ通じ合うものがあるのか、

「隊長、なんて言ってた?」
「今日こそは剣を仕込んでやるって。やる気まんまんよ」
「あの隊長、わからないところで親切心出すんだよなあ」
「あのね、わざわざ呼びに行かされる私の身も考えてよ」
「だったら来なきゃいいだろ?」
「・・・馬鹿」
「はぁ?」

 考え方は相容れずとも、仲はそこそこのようだった。

「あ〜あ。今日はいい天気だから絶好の昼寝日和だと思ったんだけどなあ」

 未練がましそうに青空を見上げるフーリだったが、隣で悪鬼も慄いてしまうのではないかと思うほどの表情でこちらを睨むフランを一瞥して、すぐにその未練は引っ込んだようだった。
(仕方ない、か)
 自分に言い聞かせるように心中で呟きながら、自分の代わりと言わんばかりに気持ちよさそうに昼寝をしていた猫に向かって、林檎を一つわざとらしく落とし、わざとらしく遅い足取りでフーリは訓練場に向かって
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