キミへ贈る物語。あなたを想う涙



 声が聞こえる。
 しくしくと涙を流す女の声だ。

 僕は目を覚まして緩慢に身を起こした。部屋の中は薄暗く、窓から差し込む白い月の光だけがぼんやりと世界を照らしている。
 今夜も月が綺麗だ。僕は腰を曲げベッドの上に座り治す。

「げほっ、ごほっ。ぐっ……、はぁ、はぁ……!」

 それだけのことで僕は激しく咳き込んだ。
 喉の奥が痛む。息が苦しい。前よりもずっと身体は重くて、疲れるようになってきている。
 僕はひたすら咳をする。それしか知らない赤子のように、病んだ肺腑から空気を吐き戻す。

 その丸まった背中に、冷たく柔らかいものが触れた。
 この感触は知っている。彼女が背中を擦ってくれているのだ。
 ゆっくりと丁寧に、痩せた背中を寝間越しに指が這う。
 なんともまあ、心地よく甘美な刺激なのだろうか。

「ごほっ……がはっ。……はぁ。あ、ありがとう、マルグリットさん。おかげで随分楽になったよ」

 喋れるようになった僕は、ベッドの脇に佇んでいた彼女に目を向ける。
 夜の闇のような黒いドレスに、烏の尾羽根に似た長い黒い髪。銀月を思わせる美しい白い肌、細い指先を僕からそっと離して、マルグリットさんは目を伏せた。

「……いえ。私にはこのくらいしか、できませんから」

 閉じた彼女の瞳から涙が零れ落ちる。
 ガラスの窓から差し込んでいた月の光が涙の中に入り込む。
 すると雫はキラキラ輝いて、まるで金剛石のような光を放った。思わず見惚れてしまう、目を惹く美しさだ。

「そんな謙遜をしないでくれ。貴方には本当に感謝しているんだ。貴方に出会わなければ、貴方が僕のこの部屋に来てくれなかったら。僕はもっと早く退屈で死んでしまっていただろさ」

 冗談めかしてそう言うと、マルグリットさんはぽろぽろ泣き出してしまった。
 大粒の涙が頬を伝って零れ落ちる。しまった、ジョークにしては品が無かったか。
 いやそもそもジョークに聞こえなかったのかも知れない。僕は自分のセンスの無さにため息を吐いた。

「……ごめん、変なことを言った。許してくれ。僕はあんまり冗談を言うのが上手くないんだ」

「うぅ、ぐすっ。ああ、違うのです。この涙は、その嬉しくて。私のような女に会えた事を、あなたが感謝してくれたから……」

 涙を流しながらマルグリットさんが言う。
 なるほど、嬉し泣きだったらしい。大層な事は言ってないのだが。やはり彼女は随分と涙脆い性格のようだ。

「ははは……。僕の言葉にそこまで感激してくれるとは。嬉しいよ、マルグリットさん」

「……ああ、また、そのようなことを……。うぅ、うぅぅ……。ごめんなさい。あなたの前だと、どうしても堪えきれなくて……」

 マルグリットさんは啜り泣く。
 科をつくり指先で涙を拭う彼女の姿はなんとも色っぽかった。こんな身体じゃなかったら、押し倒してしまっているかも知れない。

 マルグリットさんは目が覚めるような美人であった。
 悩ましげに下がった目尻。薄い色の唇。
 長く細い手足と、しかして豊満な女性の魅力に満ちた身体つきは、見る男すべての視線を奪うことだろう。
 彼女はとても素敵で、愛らしく。美しい女性だ。

 僕は、彼女のことが好きだった。
 その全てを愛していた。できれば、彼女を独占したかった。
 この部屋で一日中、その身体を抱き締めていたい。ずっとずっと離れずに、側にいて欲しい。

 けれど、それは。抱いてはいけない願望だ。こんな身体じゃ、彼女を幸せにしてあげられない。彼女にいらぬ不幸を背負わせてしまう。
 だから僕はそんな気持ちを押し殺して、彼女に笑顔を向ける。

「ああ、そうだ。マルグリットさん。またキミに話したい物語があるんだけれど……。よかったらいつものように聞いていってくれないかい?」

 僕が尋ねるとマルグリットさんは静かに頷きを返してきてくれた。
 あの日。あの満月の夜。
 彼女と出会った日から続いている朗読劇。僕がただ拙い語りをするだけの、粗末なもの。
 けれど彼女はたいそう喜んで、毎回真剣に聞き入ってくれる。
 僕はそんな彼女を見て、心がじんわりと温かくなる。いい気になって話を続ける。

 今宵もそれは変わらない。
 僕は立っている彼女をベッドの縁に座らせて、咳払いをする。
 頭の中に詰まっている読んだ本の中身を反芻して、彼女が楽しんでくれそうなものを探す。
 と、一つ。良さそうなものを思い出した。
 僕は涙を拭う彼女に少しだけ近づいて、話を始めた。

「ではでは。今宵も一席、お付き合い頂きたましょう。これはとある男女の、心温まる恋の話。誰もが羨む大団円。ハッピーエンドなお話にて。夜の無聊を慰めたいと思います──」

 朗々、語り始めた僕の顔を、彼女の潤んだ瞳がじっと見据える。
 僕もまた、彼女の
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