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少し小さく、柔らかい手が俺の手を掴んで引っ張っている。目の前の白水がぐいぐいと俺を引っ張っていく。
こいつは俺より大分小柄なはずなのに、俺は前につんのめるようにして引っ張られている。
離す気がないと思えるくらいにがっちりと手を掴まれていた。もっちりと、しっとりとした感触がなんとも心地よく、手を繋いでいると幸せになるっていうのは、このことか、なんて考えてしまう。柄にも無い。
「やばいやばいやばい、やぁぁぁ!」
そして、そんな白水は、陽子先輩に恐怖している。これは頭の中が1つのことで一杯になっている時の声だ。間違いない。
そんな白水は、パニックに突き動かされ、なりふり構わず全力疾走している。
一度こうなると、なかなか止まらないのは変わっていないのか。なんて、不謹慎だが、にやりとしてしまう。
……遅刻したからって、激烈に怒るような先輩たちでもないよなぁ。
何がそんなに怖いんだろうか。そう思いながら引っ張られるまま走る。とりあえず、周りを見えなくなるくらい慌てているのは分かる。
白水の性格的に必要以上に慌てていると言うか、パニックになっていることにパニックになっていると言うか。
それは置いておくとして、通学路が延々と坂道でなくて良かった。遠いわけでも無くて、良かった。そう思うのは、家を出てからずっと走りっぱなしだからだ。一度暴走すると止まらない白水は俺の手をしっかりと掴んだまま爆走している。
規則正しく、かつ慌ただしい靴の音をBGMにしてひたすらに走り続ける。
ショートの黒髪が、わさわさと揺れる。揺れる胸なんてものはまったく無く、色気なんて微塵も感じさせない。どことなく、小動物のようで、やっぱりかわいい。
……変わらない。小学校の頃、遅刻しそうになった時の記憶がふんわりと浮かぶ。ぱたぱたと前を走る彼女が、とても懐かしくて、とてもとても愛おしい。起きてから、変な事をしないようにきつく閉めた恋しい気持ちが漏れ出してくるのを感じる。
中学校で別々の学校に行って、高校でもあまり話してこなかったのだけれども、嘘のように、すっぽりと、この距離感が腑に落ちる。
本当に冗談のようだけれども、俺と白水は今日この日まで話していない。同じクラスで、白水を追いかけて同じ部活に入って、と環境は整っていたんだけれど。
あの時に、勇気を出して、話しかけておけば良かったんだなぁ、と今さらながら思う。そうすれば、このためらうような気持ちも、どこまでが大丈夫なんだろうかという気持ちも、少しは薄れていたかもしれない。
でも、今、こうして昔のような距離感になっているのは、俺が緊張から壁を作る前に、白水が懐に突っ込んできたからだと、そう思っている。
そういえば、昔も確かに、こうして好き勝手に引っ張られていた記憶がある。どこにそんな力があるのか。毎回疑問に思っていた気がするが、未だに分からない。というか、未だに引っ張られるとは思ってもみなかった。
加えて言うなら、足が速い。俺の1歩は白水の1歩より大きいのに、なんとか引きずられないようにしている状態だった。本当になんでだろうか。
お互いに文化部のはずなんだけれどなぁ。
頭から湯気を出しているような状態の彼女を見ながら、呆れる。火事場の馬鹿力というものだろうか。息を切らせているのはどちらかというと、俺のほうだし、朝からの強引な展開に、ギャグ漫画の中にでも入ってしまったようにも思える。
……そんな、混乱すると何をするか分からないところも、覚えている頃から変わらない。
楽しそうに俺に話しかけたり、表情をころころ変えたりする白水は、俺にとって、太陽だった。俺は、当時からすでに恋心を自覚している。
そんなこいつは、子どもっぽいところも全く変わってない。
あの時、ほとんど聞き漏らしたが、帰りにケーキ屋に行こう、と白水が言ったくだりを思い出しながら苦笑いをした。
本当に、あの頃のまま育ったように感じられる。実際、ためらいも無く俺の布団にもぐりこんできたし、それでいて、警戒もせずにころころと笑うし。
だから、俺の、年を経た結果、どこかどろりとしてしまった恋心を向けるには、あまりにも無垢なんじゃないか。そう思う。同時に、今朝、そんな白水に好き勝手してしまった罪悪感がこみ上げてくる。
あいつにとって俺は友人か、兄妹のようなものといったところだろうか。会えなかった空白の時間のせいで、あいつの中での俺は、小学校のあの時のまま、止まっているのかもしれない。白水が俺に対して、よく遊んだ頃の英君を求めているのだとしたら、今の俺はそぐわないのではないか。
そこまで考えたところで、頭から何もかもを弾き飛ばした。不毛な考えの変わりに、どう先輩に言い訳をしようか、ということで頭を一杯にした。
学校に着くまで、手にぬくもりを感じながら
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