始まりは月夜で

夜は淡く月の光が照らす。
糸のような細い明かりは恐る恐る降り注ぐ。

まるで、その銀の光が漆のような深夜に傷を着けるのを恐れるかのように。

夜は清く音の失せた世界。
虚無のようなそれの帳は静か密かに降りていく。

夜霧が溜まって出来た一滴の雫ですら、その音が分かるほど静かな夜だった。












・・・目が覚めた。
何の前触れもなく、ふと何かを思い出した時のように唐突に視界がひらけた。予想通り深く寝過ぎたようで妙な起き方をしたものだ。
私は体を起こした。目覚めたばかりなせいか、体が土塊にでもなったかのように重い。
目の前には眠る前と変わらないごつごつした岩の壁が見える。どうやら洞窟が崩れて生き埋めということにはなっていないようだ。ついでに魔物にも襲われていない。五体満足がそれを証明している。
結局、どれくらい寝たのか分からないが、これといった危機は無かったようだ。

私は壁に立て掛けてあるグレイブを手に取った。何も戦わない時まで出しておくのは持ち運びが面倒なので即座に収納術式を起動。ペンほどの大きさにしてコートの内側に入れた。
そして、取り替えるように懐から取り出した懐中時計を見る。五本ある中の一番長い針が指し示す場所を見て、私は舌打ちをする。

「毒竜め」

私は苛立ちを隠さず呟いた。
さて、幸い、この地域は私の友の住み処の近くでもある。彼の機嫌が良ければすぐにでも再戦が可能だろう。あせる必要はない。

ゆっくりと私は歩き出す。洞窟の外は森の中とはいえ、月明かりで仄かに明るかった。
中々に悪くない夜だ。

洞窟の入り口まで歩み寄り、手を伸ばす。
その手は途中で透明な壁に当たった。眠りに落ちる前に安全保障のために張ったものだ。そして、その結界には1つの異常も見当たらない。

ならばこの付近はいまだに安全なのだろう。
私はこの洞窟の入り口にかけていた数種の結界を解き外に出た。

まず、初めに感じたのは違和感だった。吐き気を催すような瘴気が感じられない。どこに行こうとも薄く、静かに、拡散していた邪気がない。

代わりに感じられたのは甘く、水飴のような空気だった。一瞬この地がサキュバス種の魔界に堕ちたかと思った。
念には念を入れ関知魔法を展開する。しかし、解析の結果ここら一帯は普通の土地だと分かった。

魔界の主以外にこうも影響を及ぼす存在、か。

私は腕を組む。
しばらく思索して出た結論が『魔王の代替わり』。これで間違いないだろう。それも、今代の魔王はこの魔力の性質だとサキュバス種か。

まあ、魔王が変わろうが、変わるまいが、どのみち私には関係の無い事だ。
私の在り方は変わらないのだから。

長く黒いコートを翻し、夜の森の中に飛び出す。私が地を蹴るごとに頬を掠める風は相応の涼しさをもって私を迎えた。

いい。実にもっていい夜だ。

目を細め、久々の外を味わう。溶けそうな闇とそれを照らす銀の月。
影を地に落とす鬱蒼とした木々や蒼白い光を一身に受け光る花々。

妄信的な主神の信仰者は夜は唾棄すべき悪魔の時間と思っているが、私はそうは思わない。

私は立ち止まって空を見上げた。
雲一つない漆黒に蒼白い月が浮かんでいる。

世界が一番透き通って見えるのは間違いなく夜だ。
闇夜は雑多な物を押し流して闇が辺りを支配する世界。それは確かに魔物が徘徊する時間だろう。
しかし、それだけで夜を不浄な時間とするのはあまりにも勿体無い。ヒトがあまりにも脆く夜に適さないから理由を付けて切り捨てているだけだ。
私は数歩歩いて再び立ち止まる。

………。

気になることがあり、耳を澄ませた。
私は近くの木に寄りかかり、目を閉じる。

………。

やはりだ。不愉快な音がする。

「『瞬天』」

ざっ、と地面を蹴り、我が身を光の弾丸に変える。
彗星のように尾を引きながら目的地まで翔んだ。

雑音が聞こえた辺りに到着し、様子見のためにそこらの木の上に着地した。同時に身に纏っていた光が泡のように消える。

そして、翔び終えた私は予想通りの物を目にした。

大柄な男が三人、齢十五程度の少女を追っている。少女は狼狽え、剣を帯びているが、引き抜こうとはしない。
よく見ると、片手に後生大事に薬草を入れた籠を持っていた。なるほど、抜刀出来ないわけだ。

相手が反撃しないのを把握してか、男どもは嬉々としながら少女を追い続ける。

全く、詰まらない事を。
私はため息を吐いた。

悲鳴は静寂を汚す。

とん。

私は木から落ちるようにして少女と男の間に入った。

当然道を塞がれた男は立ち止まり、逃げればいいものを少女まで立ち止まる。

私が間近で見た男の姿は正しく山賊だった。
ごわごわした髪を邪魔にならないようにバンダナを巻いていることや、無精髭が不審さを醸し出している
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