仄かに燻る情欲


「ハァイ、お兄さん?」

 ビクッ

 とある地方都市の外れにて。出張中で用意されていた宿へ向かう途中だった私は、突如後ろから気安く声を掛けられて、足を止めた。
 恐る恐る振り返る。そこには小柄な少女の笑顔があった。

「お兄さん、ヒマ? どう、アタシとお話ししていかない??」

 金髪で頭から伸びた二本の角。そして異形の翼を尾を生やしたところを見ると、彼女は魔物なのだろう。
 上着のファスナーを下だけで止めて全開にして、その下にあるのは露出というのも烏滸がましいほどの小さな三角とヒモだけで構成された水着のような胸下着。女らしく膨らんだその乳房をそれで包んでいる以外では、体の文様とも肌着とも分からない炎のような黒いものが、ここからでは見えない股の方から腰の横へ二筋になって広がるように肌を飾っている。

「あー、ちょっとビビらせちゃった? ウけるー! ゴメンゴメン、アタシ、パイロゥのホノカ。ヨロシクね?」

 こちらの不安を察したのか、少女はにっこりとした笑顔を浮かべて、体ごと傾けて私の顔を見上げてくる。

「いや、御挨拶どうも。だが私はその、公務で来ているもので」

 そのまま彼女の誘いを故事して歩き去ろうとする私。パイロゥと聞いて頭に警鐘がガンガンと鳴り響く。煽情的な言動と、欲情の炎を掻き立てる能力を持った淫魔。この地方でも要注意とされる魔物だ。
 比較的大きいこの町は、山から離れていることもあって油断してしまっていたか。

「あ、その顔はアレでしょ。パイロゥって聞いて怖くなっちゃった? んもー、みんな大げさに騒ぎ立てるんだからぁ」

 彼女は私の袖を掴みながらクスクスと笑う。

「大丈夫。だってこうやって町中に入り込んでも問題にならないんだよ? 私はへーわ的なま・も・の」
「いや、だがしかし……」

 確かに、危険度の低い魔物に関してはある程度交流を持つことはあり得るが、果たして名指しで危険視される種族であるパイロゥを町の官憲が放置しておくことがあり得るだろうか。

「あー、疑ってる〜。しょうがないなあ。ほらー、見てー?」

 彼女が指差す先には、長屋がある。賃貸の住宅だろう。

「アソコの一番近くの家がアタシんチ。どーおー、これでも疑う?」

 そのまま彼女に袖を引かれて、家の表札の前まで連れていかれた。
 確かに、表札には「ホノカ・パイロゥ」と書かれている。

「ね? ちゃーんと、安全な魔物です! ってお墨付きがあるからこうやって堂々と町中に住んでいられるんだよ?」
「あ、ああ……。疑って、すまない」

 私は見たものが信じられない思いはあるものの、たどたどしく謝罪した。

「んふっ」

 するとホノカはにっこりと笑顔を浮かべながら、

「んじゃ、アタシの家でゆっくりお話ししていって、いいよね?」

 疑ってしまったという罪悪感からか、私は言われるままにコクリと頷いた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 居間と台所が兼用で、あとはタンスとベッドくらいしかない小さな部屋。そこで私は椅子に座らされている。
 落ち着かない。勢いに負けて女性の、それも魔物の家に入れられてしまったが非常に居心地が悪い。

「はーい、お待たせ」

 彼女は私と自分との前にお茶の入ったカップを差し出す。

「あ、どうも」
「んふっ」

 私がお茶に口を付けると、彼女は嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。

 一口飲んだ私が手を下ろすと、彼女はその手に自分の手を重ねてくる。
 ドキッっと、心臓が高鳴った。咄嗟に手を引くよりも早く、彼女の言葉が飛んでくる。

「じゃあ約束通りぃ、楽しく、お話ししよっか?」
「あ、ああ」

 さすさす、と彼女の指が私の手の甲を摩ってくるのをくすぐったく感じながら、相槌を打つ。

「えーっとぉ、お兄さんは公務って言ってたけれど、お役人さん?」
「ああ、そう、そうだ。州庁の方から今日出張で来たところなんだ」
「そっかぁー」

 彼女は右手で私の手を撫ぜるのを続けながら、左手で茶を口に運ぶ。

「州のお役所から来たってことは、エライ人なんだねえ〜」
「そ、そういうわけではないんだ。実際こうやって使い走りのような仕事をしているし……」
「でも、アタシたち庶民から見たら天の上のようなお方だよぉ〜」

 彼女はカップを脇に置いて、前のめりになる。小さな身体に不似合いな胸の谷間が私の側に迫り、自然と私の視線はそれに引き寄せられる。

「お兄さんはやっぱり、恋人とかお嫁さんとか、いる?」

 来た。
 私の女性関係を探る言葉。もしいないなどといったら、淫魔らしく容赦なくアプロ―チを仕掛けてくるのだろう。
 私には妻も恋人もいないが、ばれないように堂々と嘘を吐く。

「ああ。妻帯者だ」
「そっかー。だよねえ、立派なお役人さ
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