【6月10日】
今日は変わったことがあったので、久々に日記を書こうと思う。
そうでもしないと二度と書く機会がなさそうだし、現にこれを買ったのもいつだったか思い出せない。息子が引っ越して独り暮らしになってからというもの、どうにもサボりがちになってしまうものだ。ふと思い出して前の日付を見たときはびっくりしてしまった。
さて、変わったことというのは一人の少女がここを訪ねてきたことだ。少女と一口に言っても私から見たら、という話なので実際は二十歳に達するかしないかくらいだろう。今日は酷い土砂降りで、私は一日家でのんびりするはずだった。妻に逃げられ息子も独り立ちし、今では山奥で世捨て人のような生活をする私だが、ここ数年で訪ねて来た人と言えばやはりいない。知人だって会わなくなって久しいのだ。
しかし、彼女はこの家の戸を叩いてきた。勢いの強まる豪雨の中、傘も持たずに、何を言うでもなく立ち尽くしていた。彼女は長い黒髪だったけれど、顔立ちは日本人ではないように思われた。疑問は尽きなかったが、そんな彼女をただ放っておくこともできず、私は彼女を家に入れた。
男の私が彼女の体を拭くのは憚られたので、とりあえずタオルを何枚か渡して、服は暖炉で乾かすようリビングへと案内した。食事を取らせるべきかとも思ったが、長いこと返事がないので見に行ってみるとソファで眠ってしまっていた。衣服も乾いたらしく、取りあえず毛布だけかけてやって、自室に戻ったところで私はこの日記を書いている。
いつまで居座る気かは知らないが、とりあえず今のうちは匿ってやるつもりだ。どうしてそうしてやろうと思うのかは、イマイチ自分でも分からない。心あたりがあるとすれば、長い独り暮らしに寂しくなった、とかだろうか。
警句も兼ねて、別に下心があるわけではないことも書き記しておく。
そういうのはいけないぞ。
【6月11日】
少女が目覚めた。
昨日は一言もしゃべらなかった彼女だったが、朝起きるなり泊めてもらった礼がしたいと言い出した。流暢な日本語だった。おおよそ大体できることなら何でもやるとでも言いたげな顔である。一度断ったのだが、そうしたら昨日のように黙り込んでしまって一向に口を聞かなくなってしまった。出ていく気もまだないらしい。
私は仕方なく部屋の掃除を言い渡した。
雨もすっかり上がったし、丁度買い物に出かける用事があったから、その間に気が済むまでやらせようという魂胆だった。
帰ってみて、私は今までの人生で最大級と言えるくらいに驚いた。けして綺麗とは言えなかった家の内装が埃一つ見当たらないほどに片付いていた。それどころか、今まで使ってきたタンスやテーブルや椅子などといった家具の類まで、新品同然の輝きを放っている。
一体どんなことをしたらこんなふうになるのかと問い詰めた。
答えは、初めて見た彼女の笑顔。それだけだった。
【6月12日】
香ばしいトーストの香りで目を覚ますというどうにも懐かしい経験をした。
見れば台所で彼女がフライパンを握っている。テーブルには買い置きを上手く使った、見栄えの良い料理が並べられていた。
彼女は言葉少なげに、どうぞ、と一言だけ呟いて私の前に座った。料理を口に入れてみると、それが見た目だけではないことが分かった。失礼な話だが、出ていった女房のそれよりもずっと美味しかった。こんなにも才能あふれる彼女が何故雨に打たれていたのか、不思議でならない。
【7月1日】
彼女と出会ってもう二週間ほど経つみたいだ。
ここのところ家事は彼女に任せっきりだ。彼女は自分がこの家の使用人だとでも言わんばかりに働いてくれる。
嬉しいのは嬉しいけれど、彼女みたいな素敵な女性がこんなところに居ていいとは思わない。早く自分の故郷へ帰らせてやりたいし、彼女は彼女の生活を送るべきだと思う。そのためにも早く自分のことを喋ってほしいけれど、彼女はだんまりだ。友だちと遊んだり、恋人を作ったり、丁度そういうことをする年齢だろうに。
それでも、家族が増えたみたいで嬉しいのは事実だけれど。
【7月13日】
彼女が私の過去を聴きたいと言い出して来た。家事以外のことで彼女が口を開くのは珍しい。本当は自分のことを話してくれるのが一番なのだが、それはひとまず保留にして彼女に答えた。
貧乏な暮らしだったけれど、一人の女性と出会って結ばれたこと。なのに何を間違えたのか、不仲が原因で妻が出て行ってしまったこと。でも今は息子も一人立ちし、心配なこともそれほどない穏やかな生活を送っていること。忙しい毎日だったけれど、全て終わった今は幸せだったと言える。
話し終えても彼女はあんまり笑ってくれなかったことがちょっと残念だった。
面白い話でもないから当然か。
正直なところ、彼女の過去を聞きたくな
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