少し立てつけの悪くなった木製のドアが、キイ、と軋んだ。カウンターの奥で新聞を読んでいた中年の男性は、その音でいつも来客を知る。一種のドアベル代わりだった。
「いらっしゃい、旦那。ご宿泊で? 酒と食事は陽が落ちてからなんで、もしそうなら何処かで時間潰して来てくんな」
 来客に対する決まり文句を口にしながら、宿の主人は新聞を畳み、顔を上げる。
「宿泊だ」
 青年は答え、カウンターに歩み寄った。
「左様で」
 主人はそう言って宿帳を取り出し、そこで気づく。
「あのー、旦那。あちらのお嬢さん方は、旦那のお連れで?」
「不本意ながらな」
 入口付近に立つ二人の少女を見やる主人に答える青年は、口調こそ平坦だが、その声音には異様な迫力を感じた。
 正直な話、青年も何故こんな状況になっているのか、よく解っていなかった。どういう流れで二人の宿泊費を自分が持つ事になったのか、全く憶えていないのだ。おそらく心を守るために、脳が理解する事を拒んでいるのだろう。
「それじゃ、お部屋は三部屋で?」
「ああ、いや……二部屋でいい。私達は一緒に寝るから、枕だけ一つ貸してくれ」
 いちおう申し訳なく思っているのか、慌ててシファが訂正した。
 それぞれに宿帳にサインをし、鍵をもらって階段を上がる。青年はまだ聞いていなかったので、シファが拾った少女の名はサインを見て初めて知った。リリエ、というらしい。

 用事がある、と言って荷物だけ置いて出て行った青年を見送り、シファはリリエを促し部屋に入った。室内は特に広い訳ではなかったが、身体の小さなリリエとなら二人でも問題ないだろう。意外、というのも失礼だが、しっかりと掃除された部屋は好感が持てた。
 剣帯から剣を鞘ごと抜き、壁に立てかける。外した剣帯は、備えつけのテーブルの上に置いた。それから振り返り、所在なさげに立っているリリエを手招き、椅子に腰かけさせた。
「さて……まずは怪我の手当てか」
 椅子の後ろ緒からリリエの肩に手を置いていたシファは、薄汚れた少女の様子に何かを思いついたような表情を見せる。
「ちょっと待っていろ」
 ポンポン、と優しく頭を叩き、部屋を出て行った。
 しばらくして戻って来たシファは、両手で大きめの洗面器を抱えていた。それをテーブルの空いたスペースに置き、リリエを振り返る。
「手当てをするにしても、まずは汚れを落とさないとな」
 宿の主人に頼んで沸かしてもらったらしい湯にタオルを浸し、脱げ、と言う。リリエは絶句して、シファの顔を見返した。悪意ゼロ。何てタチの悪い。
「……やだ。恥ずかしい」
「またか。照れ屋だな、リリエは」
 微笑ましいものでも見るように言う。
「女同士なんだから、恥ずかしがる事はないだろう」
 同性でも恥ずかしい事はある、という事には思い至らないアホの子だった。
「しょうがない奴だな」
 シファは自分の荷物から、綺麗に洗濯された大きめのタオルを取り出す。
「これで前を隠していろ」
 殆ど押しつけるようにして、少女の服に手をかけた。
「ぁ……ゃ――」
 僅かに抵抗するリリエを一顧だにせず、あちこちが破けた服を剥ぎ取る。真っ赤になっている少女には気づかぬまま、やや熱めの湯で絞ったタオルを広げた。
「まずは背中からだな」
 驚かせないように断ってから、優しく擦ってやる。
「痛くないか?」
「んぅ……平気」
 次は彼女の手を取り、肩から腕へとゆっくりと汚れを拭った。それから首、胸元へと手を動かすと、慌ててリリエがその手を押さえた。
「まっ、前は自分でやるから……」
「そうか。じゃあ、足だな」
 相手の前にまわりこんで跪き、足首の辺りを取って熱いタオルを滑らせる。何故か内腿の辺りを擦っているとソワソワし始めるリリエに小首を傾げながら、タオルを絞りなおした。
「それじゃあ、前は自分でやれ。終わったら髪を洗うからな」
 タオルを渡すと、リリエはシファの方をチラチラと窺いながら、自分の身体を隠すようにして、前を拭く。
「終わったか? じゃあ、その大きなタオルを身体に巻いて、床に寝そべれ」
「え? でもタオル……」
 汚れてしまう事を気にしているらしい少女に、安心させるような笑みを向けて見せた。
「洗えばいいし、この部屋はよく掃除されているから大丈夫だ」
 遠慮がちに横になったリリエとは垂直になるように足を伸ばして座り、彼女の頭を持ち上げると、シファはそれを自分の太腿に乗せる。太腿の間に洗面器を置いて、手で掬ったお湯を少女の髪に浸みこませていった。
 髪を傷めないように優しく撫で、指の腹で地肌をマッサージ。髪の間に入りこんだ砂を、少しずつ揉み出した。
「よし。まあ、こんなもんだろう」
 硬く絞ってあった小さいタオルでリリエの髪を拭き、身体を起こしてやる。
「……気持ちよかった」
「そうか」
 
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